No.27 罪人をうらやんではなりません

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【箴言23:17~18】
心のうちで罪人をうらやんではならない。いつも、ただ主を恐れていよ。
あなたには確かに将来がある。あなたの望みは断たれることはない。

罪人を羨んではならないと言われるけれど

「まじめにコツコツと頑張っても意味がない」「一生懸命に頑張っても損するだけだ」

そんなふうに感じる時があります。そう思う時、私たちはなんだかやるせない気持ちになります。

アサフもそうであったのです。

詩篇73:2~3
けれどもこの私は 足がつまづきそうで
私の歩みは滑りかけた。
それは 悪しき者が栄えるのを見て 誇り高ぶる者を嫉んだからだ。

悪しき者が栄えているのを見てアサフは、ねたんでしまったのです。ねたまずにはおられなかったのでしょう。

詩篇73:5
人が苦労するときに 彼らはそうでなく
ほかの人のように 打たれることもない。

私が一生懸命に頑張っているのに彼らはそうではありません。しかも、悪いことをしているのに打たれないのです。

詩篇73: 11~12
そして 彼らは言う。
「どうして神が知るだろうか。
いと高き方に知識があるだろうか。」
見よ これが悪しき者。
彼らはいつまでも安らかで 富を増している。

彼らは神を侮っています。悪いことをしても神の懲らしめなどない、神なんて何もわかってないのだと言います。

彼らは、平安で楽しそうに見えます。そして、どんどん豊かになるようです。

実際、「どうしてなの?」「何でなの?」と思わずにはいられません。

詩篇73:21~22
私の心が苦みに満ち
私の内なる思いが突き刺されたとき
私は愚かで考えもなく
あなたの前で 獣のようでした。


悪者が栄えるのを見て、心に苦しみが満ちたと言っています。理解できなくて、心が痛くて、苦しくて、泣きわめいたのかもしれません。自分はまるで獣のようだったと告白します。

詩篇73:23~24
しかし 私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手を
しっかりとつかんでくださいました。
あなたは 私を諭して導き
後には栄光のうちに受け入れてくださいます。

主は、アサフをさとして導いてくださいました。主と共に歩く人は、どんな時でも幸いです。主にさとしてもらえますから。

アサフは、絶えず、どんな時でも、主と共にいました。主は、アサフの右の手をしっかりと掴んでくださいます。

詩篇73:17~19
ついに私は 神の聖所に入って彼らの最後を悟った。
まことに あなたは彼らを滑りやすい所に置き 彼らを滅びに突き落とされます。
ああ 彼らは瞬く間に滅ぼされ 突然の恐怖で 滅ぼし尽くされます。

ついにアサフは悟りました。自分が羨んでいた悪者の最期を。

悪者は、主と共にはいません。彼らの足は、まだ滑ってはいません。しかし、滑りやすいところにおかれています。そして、滑った時は、一瞬です。彼らの右の手を掴んでくださる方はいないからです。

私たちは絶えず主ともにいます。主を恐れる者の足は滑りやすいところにはないのです。そして、主は、私の右の手をしっかりと握られます。

箴言23 :17~18
心のうちで罪人を羨んではならない。
いつも、ただ主を恐れていよ。
あなたには確かに将来がある。
あなたの望みは断たれることはない。

主は、私の手をしっかりとつかまれます。
私は人をうらやみません。
私の望みは主なる神です。