【箴言23:17~18】
心のうちで罪人をうらやんではならない。いつも、ただ主を恐れていよ。
あなたには確かに将来がある。あなたの望みは断たれることはない。
罪人を羨んではならないと言われるけれど
「まじめにコツコツと頑張っても意味がない」「一生懸命に頑張っても損するだけだ」
そんなふうに感じる時があります。そう思う時、私たちはなんだかやるせない気持ちになります。
アサフもそうであったのです。
悪しき者が栄えているのを見てアサフは、ねたんでしまったのです。ねたまずにはおられなかったのでしょう。
私が一生懸命に頑張っているのに彼らはそうではありません。しかも、悪いことをしているのに打たれないのです。
彼らは神を侮っています。悪いことをしても神の懲らしめなどない、神なんて何もわかってないのだと言います。
彼らは、平安で楽しそうに見えます。そして、どんどん豊かになるようです。
実際、「どうしてなの?」「何でなの?」と思わずにはいられません。
悪者が栄えるのを見て、心に苦しみが満ちたと言っています。理解できなくて、心が痛くて、苦しくて、泣きわめいたのかもしれません。自分はまるで獣のようだったと告白します。
主は、アサフをさとして導いてくださいました。主と共に歩く人は、どんな時でも幸いです。主にさとしてもらえますから。
アサフは、絶えず、どんな時でも、主と共にいました。主は、アサフの右の手をしっかりと掴んでくださいます。
ついにアサフは悟りました。自分が羨んでいた悪者の最期を。
悪者は、主と共にはいません。彼らの足は、まだ滑ってはいません。しかし、滑りやすいところにおかれています。そして、滑った時は、一瞬です。彼らの右の手を掴んでくださる方はいないからです。
私たちは絶えず主ともにいます。主を恐れる者の足は滑りやすいところにはないのです。そして、主は、私の右の手をしっかりと握られます。
主は、私の手をしっかりとつかまれます。
私は人をうらやみません。
私の望みは主なる神です。