【創世記9:20~22】
さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作り始めた。彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。
外に「告げた」のです
主の心にかなった人、ノアでも失敗するのです。
ぶどう酒を飲んで酔ってしまったのです。
ここで飲酒の是非について考えるつもりはありません。父親の失敗に対するハムの対応に注目したいのです。
ハムは、父が裸であることを外に出て告げました。
悪意があったのか、もしあったとしてどの程度の悪意であったのか、そのようなことはこの記事からは分かりません。
ただ外に出て告げたことだけは確実です。
そして、その結果が子孫への「のろい」であったことは重大な事実です。
小さな火が大きな森を燃やすように、ほんの少しの言葉が大きくなって「人を傷つけ」また「自分も傷つく」ということがあり得るのです。
私たちは、幸いな日々を過ごしたいと願います。
そう願うなら「舌を押さえて、くちびるを閉ざす」必要があります。私には耳が痛いですね。
人を傷つけてやろうとわざと悪意のある言葉を告げて回る人はあまりいないと思います。
けれど、軽いうわさ話ならどうでしょう?
うわさ話はタンポポの綿毛のようだと言われます。
ふわふわと風に乗って、遠くまで飛んでいきます。
言葉は、綿毛のように飛んでいきます。そして、根が生えて、いつの間にか広がります。
苦い根は、多くの人を汚します。
ハムの言動は、多くの人を「のろい」の下に置いてしまったのです。その息子カナンと子孫たちに「のろい」を招きました。
舌を押さえて、くちびるを閉ざし、悪いことばを出さないようにすること
それが幸いな日々を過ごす秘訣です。