No.367 主よ、私の内なる人を強めてください

夜の砂漠のランプ

箴言20:27
人間の息は主のともしび。腹の奥まで探り出す。

人の霊が「ともしび」なのです

平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。

私たちが「霊・たましい・からだ」を持っていることは明らかです。

「神は霊です」とイエス様は言われました。そして、私たちは「いのちの息」を吹き入れられて「神の似姿」に造られたのですから「霊的な存在」であることに間違いありません。

しかし、私は、自分が「霊的な存在」であることを時々忘れてしまうようです。

腰が痛いだとか、お腹がすいたとかいう「からだ」の声は良く聞こえますし、すぐに反応します。

また、嫌だ、怖い、面倒くさいなどという「気持ち」に大いに左右されます。

けれど「霊」つまり「内なる人」の声には、どれほど耳を傾けているだろうかと思うのです。

箴言20:27
人間の息は主のともしび。腹の奥まで探り出す。

「人間の息」とは、別訳では「人間の霊」です。

つまり「人の霊」が「神のともしび」だと聖書は言っているのです。

「ともしび」とは、辞書によると「明かりとする火のこと」です。

「ともしび」とは、暗い場所を照らすものです。周囲を明るく照らすものです。

私たちの「霊」は、神様が「ともしび」として用いられるものなのです。

主は、私を「霊」によって照らし、見えるようにされるのです。

つまり、主は私を「霊によって導かれる」ということです。

私たちは「からだ」に導かれるようには造られていません。「肉」に従うなら「滅びる」でしょう。

私たちは「たましい」に導かれるように造られてもいません。「人の心は何よりもねじ曲がっている」と聖書に書いてあります。

ローマ8:14
神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。

神の子どもは、みな「御霊」に導かれます。

「御霊」は、私たちの「霊」を導かれます。私たちの「たましい」ではなく「霊」が「御霊」と一つにされているからです。

Ⅱコリント5:16
ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

新たにされるのは「内なる人」です。外なる人は衰えます。

大能の力によって強くされるのは「内なる人」なのです。

そして、その「内なる人」とは、私たちの「霊」のことなのです。

私たちは「霊的な存在」です。「霊」によって生きています。

私は「霊的な存在」です。「たましい」を持っていて「からだ」を支配しています。

私は、時々「からだ」に支配されてしまいますが、パウロのように「からだをうち叩いて服従させ」たいと思います。

私は、時々、「心のまま」に生きようとしてしまいますが、イエス様のように「私の望みではなく、あなたの望まれるままになさってください」と献げて歩みたいのです。

そのためには「霊が神のともしび」なのだということを常に認識していなければなりません。

主のみこころを知りたいのなら「霊」によって照らされる必要があるのです。

あなたの「霊」が御霊に導かれることを信じなさい。

あなたの「内なる人」が御霊によって強くされるように求めなさい。

私たちは「霊であること」を意識して歩みましょう。

私たちの「霊」は、常に「御霊」とともにあるのです。

私は「霊的存在」で御霊に導かれます
私は「たましい」を持っています
私は「肉」に従いません