ローマ5:5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
失望に終わらないのは「この」希望です
御言葉に反することを言うようですが、私たちの希望は失望に終わります。
私は、いくつもの希望を抱きましたがことごとく失望しています。
どうして、自分の希望は失望に終わるのか、なぜ、主は何も事を起こして下さらないのか、そのように何年も考えていました。
主がくださった「夢」だと思ったことさえ、成就しなかったときには、信仰が揺らぎました。
そして、もう希望を抱くのが嫌になりました。
結局、何も起こらないとあきらめるようになりました。
しかし、私の希望が失望に終わるのには理由があったのです。
実際、それは「希望」ではなかったのです。
聖書は「この」希望は失望に終わらないと言っています。
「私の」希望ではなく「この」希望が失望に終わらない希望なのです。
「練られた品性が希望を生み出す」と聖書は言います。
そして、「練られた品性から生み出された希望」こそが「この希望」つまり「失望に終わらない希望」なのです。
「私の希望」である限り、それは失望に終わるでしょう。
失望に終わるならば幸いです。
その苦難によって忍耐が生まれます。「主を待ち望む」という忍耐です。そして、その忍耐は練られた品性を生み出します。それは「へりくだり」という品性です。
そこから生まれるのは「私の時は御手の中にあります」という告白です。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」という賛美です。
そして、それこそ「この」希望、つまり、失望に終わることのない希望が生み出される土壌なのです。
失くした夢や希望をいつまでも悔やむ必要はありません。
自分の怠慢、罪、能力の無さが希望を失わせたのかと嘆く必要もありません。
たとえ、私たちが愚かであったとしても、「本物の希望」であったなら失われることなどないのです。
「この」と呼ばれる希望こそが本物なのです。あなたは、それを掴むことはできません。希望は「生み出すもの」だからです。
それは、「私の希望」が失望に終わった後、生み出されるものです。
そして、「この」希望こそ、失望に終わることがないのです。
主よ、私の時は御手の中にあります。
あなたのなさることを信頼します。
主の御業は時にかなって美しいからです。