No.91 主が荒野で優しく語られます

壁の穴

【ホセア2:14~15】
それゆえ、見よ、わたしは彼女を誘い、荒野に連れて行って優しく彼女に語ろう。わたしはそこを彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門とする。その場所で彼女は答える。若いころのように、エジプトの地から上って来たときのように。

主は荒野に連れていかれます

荒野とは何もない場所です。生きるのが困難な場所です。主は、そこに人を連れていかれることがあるのです。

何もかも失ったと思うことがあります。何をしたらいいのか分からないときがあります。孤独で頼りない気持ちになることがあります。まるで、荒野にいるかのように感じることがあります。

なぜ、主は、人を荒野に誘うのでしょう。

主は言われます。

ホセア2:14
それゆえ、見よ、わたしは彼女を誘い、荒野に連れて行って優しく彼女に語ろう。

「それゆえ」というのは、イスラエルが神様を見捨てて「バアル」を慕ったことを指します。

ホセア2:13
彼女がバアルに仕えた日々のゆえに、わたしは彼女を罰する。彼女はバアルの神々に香をたき、耳輪や飾りを付けて愛人たちの後について行き、このわたしを忘れた。ー主のことば。

イスラエルが主を忘れたので、主はイスラエルを荒野に連れていかれるのです。

何もない場所、自分の力ではどうすることもできない場所、そこに誘われるのです。

そして、そこで「優しく語ろう」と言われるのです。

何もない場所に導かれるのは、「主お一人だけ」を見せられるためです。ご自分を「忘れた」彼女に思い出させるためにです。

何もかも失くしたと思う時は、主があなたに「語られる」ときです。孤独で頼りない気持ちになる時は、「主お一人だけ」を見るときです。

主は何もない荒野をあなたに見せて言われます。

ホセア2:15
わたしはそこを彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門にする。その場所で彼女は答える。若いころのように、エジプトの地から上って来たときのように。

今、見ている何もない不毛の荒野が「ぶどう畑」となるのです。そして、アコルの谷は望みの門となります。

ヨシュア7:26
人々はアカンの上に石くれの大きな山を積み上げた。今日もそのままである。主は燃える怒りを収められた。それで、その場所の名はアコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。

アコルとは「わざわいをもたらす」という意味のことばです。アカンの背きの罪の結果です。

ジッと見つめているのが辛くなるような場所です。人の後悔が埋まっている場所です。

あのとき、なぜ、あんな決断をしてしまったのだろう。

なぜ、こんな場所に来てしまったのだろう。

あの罪のせいですべてが失われてしまった。

そのような人のどうすることもできない痛みが谷には埋まっているのです。

しかし、主は言われます。

「アコルの谷を望みの門とする」

主が、あなたを荒野に誘われたのはそのためです。

荒野で優しく語られるのは「主お一人」を見て欲しいと願われるからです。荒野に誘われるのは「思い出して欲しい」からです。

優しく語られる主のことばを聞いてください。

何もない荒野は「ぶどう畑」へ変えられます。

あなたのすべての「アコルの谷」は「望みの門」へと変えられます。

「失敗だった」と思うその場所が「望みへの入り口」になるのです。

恐れずに荒野を行きましょう。主がそばにおられます。主の語られることに答えながら歩みましょう。

主と一緒に歩むなら私たちは必ず実を結びます。そして、主がおられるなら決して失望に終わることなどないのです。

ローマ10:11
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」

主が優しく語られることに感謝します。
荒野がぶどう畑になることを信じます。
アコルの谷は望みの門となります。
私は主だけを愛します。