No.61 主は「破れ口に立つ者」を探しておられます

オリーブの木

【詩篇106:23】
それで神は「彼らを根絶やしにする」と言われた。もし 神に選ばれた人モーセが 滅ぼそうとする激しい憤りを収めていただくために 御前の破れに立たなかったなら どうなっていたことか。

本当にどうなっていたことかと思います

モーセは常に「御前の破れ」に立ち続けました。

出エジプト32:10
今は、わたしに任せよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がり、わたしが彼らを立ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とする。

「今は、わたしに任せよ」と主はモーセに言われました。

しかし、この時、「主にお任せする」とどうなったのでしょう。

「わたしは、彼らを立ち滅ぼす」と主は言われたのです。そして「モーセを大いなる国民とする」と言われました。

モーセは、「主よ。あなたにお任せします」とは言いませんでした。

「そうですね。彼らは悪すぎます。新しく始められるのがいいでしょう。」とは言わなかったのです。

この時も、その後も、ずっと生きている限り「御前の破れに立ち続けた」のです。

そして、実に、それこそ本当に、主が望んでおられることでした。

「御前の破れに立たなかったならどうなっていたことか」と詩篇の記者は言います。そして、エゼキエル書にその答えがあります。

エゼキエル22:30~31
この地を滅ぼすことがないように、わたしは、この地のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口に立つ者を彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。それでわたしは彼らの上に激しい憤りを注ぎ、激しい怒りの火で彼らを滅ぼし尽くし、彼らの頭上に彼らの生き方を返した―神である主のことば。

主は「破れ口」に立つ者を探されました。しかし、「破れ口に立つ者」は見つかりませんでした。それで、主の激しい憤りは注がれました。

主は、人を滅ぼしたいとは望んでおられないのです。悪者であっても「立ち返って生きる」ことを望んでおられるのです。

エゼキエル18:33
わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか。―神である主のことば― 彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。

主は、モーセのように、アブラハムのように、神と人との間に立って「とりなす者」を求めておられます。いつも「破れ口に立つ者」を探しておられるのです。

終わりの時代の今も、主は、人が滅びることを望んではおられません。

Ⅱペテロ3:9
主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

主は、今の時代も「破れ口に立つ者」を探しておられます。

出エジプト32:13
あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたはご自分にかけて彼らに誓い、そして彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のように増し加え、わたしが約束したこの地すべてをあなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれをゆずりとして受け継ぐ』と言われました。

モーセは、「アブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください」と嘆願しました。

主は「真実」の神です。ご自身の約束を必ず果たしてくださいます。「アブラハム、イサク、イスラエル」のゆえに「あわれみ」を注いでくださいと願ったのです。

私たちは「イエス・キリストの御名」のゆえに「あわれみ」を乞い願いましょう。「罪について、義について、さばきについて」世が誤りを認めて悔い改めるように願い求めましょう。

モーセが、本当の「主の御思い」を悟って受け入れられる「とりなし」をしたように、私たちも「主に喜ばれる」祈りをささげることができます。

Ⅰテモテ2:1
そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。

Ⅰテモテ2:3
そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。