Ⅱコリント1:3
私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。
私は、もっと信頼せねばなりません
私たちの神は「あらゆる慰めに満ちた神」です。私は、もっと、この方に信頼すべきだと思います。
言葉を失うような辛い出来事が起ったと聞かされるとき、私は文字通り、その人に掛けるべき言葉を失ってしまいます。何を言っても空々しく感じてしまいます。どこにも希望が見つけられないような絶望感に見舞われます。
何かを言ってあげたいと切に願うのですが、何も言えないのです。本当に黙り込んでしまって、実際に「なんで何も言ってくれないのか」と怒られたことさえあります。
しかし、どれだけ怒られたとしても、やはり、私には何の言葉も見つけられません。何十年も信仰生活を送っているのに情けないなと思います。
なぜ、辛いことや悲しいことが起るのでしょう。一つの苦難を、やっと乗り越えたと思ったら、すぐに別の苦難に遭うなどということが起るのでしょう。
霊の戦いとか、祈りの備えとか、信仰を働かせるとか、悔い改めとか、断ち切ることとか、神の完全なご計画とか、色々と示唆することはできるかもしれません。
けれど、人の言葉は、時々、その状況にいる人に対して、思う以上に強く厳しく聞こえるものです。懸命に諭してくれる、その言葉が、やけに空回りして虚ろに響くのです。ヨブの友人たちの言葉のように。
主は「あらゆる慰めに満ちた神」です。
主なる神の他には、誰も、人を完全に慰めることなどできません。そして、私たちの神以外に「言葉を失う」ほどの出来事を慰め得る方はいません。
言葉を失った時、私にできることは一つです。
私は、その人の隣で「あらゆる慰めに満ちた神」を見上げます。そして、「あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神」をほめたたえます。
「あらゆる慰めに満ちた神」が、あなたとともにおられますように。
主のくださる「あらゆる慰め」であなたが満たされますように。
切に願っています。
あらゆる慰めに満ちた神をほめたたえます
あわれみ深い父をほめたたえます
主はかがんでいる者をみな起こされます