No.248 主は恵もうと待っておられます。

木登り猫

ガラテヤ5:1
キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。

奴隷のくびきは砕かれているのです

聖書は言います。

「再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい」と。

つまり以前、私たちは「奴隷のくびき」を負っていたということです。

そして、さらに言えば、今、私たちは「自由である」にも関わらず「奴隷のくびきを負わされる」ことがあるということです。

もし私たちが「行い」によって生きているのなら、私たちは「奴隷のくびき」を負わされています。

真面目な聖徒ほど「奴隷のくびき」を負わされていることに気がつきません。むしろ、進んで負ってしまう人もいるだろうと思います。

私たちは「努力」で「祝福」を勝ち取ることはできなということを覚えていなければなりません。

私たちが救われたのは「恵み」によるのです。私たちは「恵みのゆえに信仰によって」救われたのです。

始まりが「恵み」なのです。だとしたら、「途中」も「終わり」も、ずっと「恵み」によって生きなければならないのです。

あなたの動機が「恐れ」であるならば、あなたは「奴隷のくびき」を負わされています。あなたが常に「罪悪感」を感じているならば「奴隷のくびき」を負わされています。

いつも歯を食いしばって、目に涙をためて自分のところに来る子どもを、その父親はどう思うでしょう。

そして、その子どもが、自分のところに来るたびに「ごめんなさい」と謝ってばかりいるとしたら。

「ごめんなさい。今度は、もっと上手にやります。だから赦してください」

「ごめんなさい。また同じ失敗をしてしまいました。次は頑張りますから赦してください」

もし、私のもとに、そんなことを言いながら、オドオドと近寄って来る子がいたなら、私はきっと泣いてしまうでしょう。

自分が「威圧的な態度」を取っているのだろうかと心が痛くなるでしょう。

愛する兄弟姉妹。

うつむきながら御父のもとに行くのはやめましょう。

イエス様の十字架の血潮は、今日も、有効です。御父は、イエス様の血潮のゆえに、私たちを拒まれることはありません。

ヘブル30:18
それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようとして立ち上がられる。主が義の神であるからだ。

目を上げて、手を上に伸ばしなさい。

主が、あなたを待っておられます。恵みを与えようと待っておられます。あわれみを与えるために立ち上がっておられます。

あとは、あなたが「受ける」だけです。

私は「神のこども」です
奴隷のくびきは砕かれました
行いではなく、恵みによって生かされています