ヨシュア5:15
主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。
味方か敵かとヨシュアは言いました
ヨシュアは、カナンの地にイスラエルを導き入れました。そして、今、カナンの地を征服しようとしています。
彼は「するべきこと」が何であるか分かっていました。エリコの人々が「イスラエルの神」を恐れていることも知りました。あとは、攻め上って占領するだけです。
しかし「どうやって?」
ヨシュアは、エリコの城壁を見ていました。それは、ヨシュアの前に立ちはだかり、決して落とせないように見えました。
そのような時、ヨシュアは「主の軍の将」を見たのです。
ヨシュアは「味方か敵か?」と聞いたのです。
新しいことを始める時、または何か成し遂げなければならないことがある時、私たちは「主よ。あなたは味方ですよね」と尋ねます。
私たちは「主が味方」であることを知っていますし「主が味方」であるならば「圧倒的な勝利者」となることも知っています。
しかし、勘違いしてはなりません。主は「私の願望」を成し遂げるための「味方」ではないのです。
けれど、私は思ってしまいます。
「そうは言うけれど、私のしようとしていることは、神様からいただいた使命なのだから、当然、主は味方でしょう」と。
ヨシュアの使命は「モーセから引き継いだもの」であり、もちろん「神のみこころ」でした。
しかし、主の軍の将は言ったのです。
「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である」
「履き物を脱ぐ」とは「自分の権利を放棄すること」を表します。ヨシュアは「自分の思い、願い、やり方」を放棄する必要がありました。聖なる地では「自分の権利」を主張することはできないのです。
「主のみこころを行うのだから、当然、味方してくださいますよね」と私は思います。しかし、それは「不遜な思い」「大きな勘違い」です。
「味方か敵か」と問う前に「服従」があることを忘れてはなりません。
あなたの使命が「主のみこころ」であるのは確かなことでしょう。
しかし「あなたのやり方」はどうでしょう?
私たちは「主のみこころ」を「主の方法」で行う必要があります。
私は「履き物を脱いで」ひれ伏さなければなりません。「味方か敵か」と問う前に、まず「自分の権利を放棄」しなければなりません。
そして「主よ、私はあなたのみこころに添いたいと願います。私こそ、あなたの側につく者としてください」と言うのです。
主の軍の将は「履き物を脱いだヨシュア」にエリコ攻略の方法を指示されたのです。
それは、人間が思いつくような方法ではありませんでした。誰が「ただ周囲を歩くだけ」で城壁が崩れると考えるでしょう。ヨシュアは「不思議な戦略」を受け入れるために整えられたとも言えるかもしれません。
「どのようにして」という方法は、主が与えられます。私たちの神は「万軍の主」ですから様々な戦法を持っておられます。
「みこころ」に従うとは「方法」も従うことです。私たちは「何を命じられても」従うだけです。
私はまず「履き物を脱ぐ」必要があります。私の方法、思い、考えのすべてを放棄しなければなりません。
全き明け渡しこそ「圧倒的な勝利」の秘訣であると私は信じます。
あなたが「履き物を脱いで、すべてを明け渡す」なら、主はあなたの「味方」です。
私は履き物を脱ぎます
方法も、すべて主のものです
私はすべてを明け渡します