No.305 あなたの履き物を脱げと言われます

履き物

ヨシュア5:15
主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。

味方か敵かとヨシュアは言いました

ヨシュアは、カナンの地にイスラエルを導き入れました。そして、今、カナンの地を征服しようとしています。

彼は「するべきこと」が何であるか分かっていました。エリコの人々が「イスラエルの神」を恐れていることも知りました。あとは、攻め上って占領するだけです。

しかし「どうやって?」

ヨシュアは、エリコの城壁を見ていました。それは、ヨシュアの前に立ちはだかり、決して落とせないように見えました。

そのような時、ヨシュアは「主の軍の将」を見たのです。

ヨシュア5:13
ヨシュアがエリコにいたとき、目を上げて見ると、一人の人が抜き身の剣を手に持って彼の前方に立っていた。ヨシュアは彼のところへ歩み寄って言った。「あなたは私たちの味方ですか、それとも敵ですか。」

ヨシュアは「味方か敵か?」と聞いたのです。

新しいことを始める時、または何か成し遂げなければならないことがある時、私たちは「主よ。あなたは味方ですよね」と尋ねます。

私たちは「主が味方」であることを知っていますし「主が味方」であるならば「圧倒的な勝利者」となることも知っています。

しかし、勘違いしてはなりません。主は「私の願望」を成し遂げるための「味方」ではないのです。

けれど、私は思ってしまいます。

「そうは言うけれど、私のしようとしていることは、神様からいただいた使命なのだから、当然、主は味方でしょう」と。

ヨシュアの使命は「モーセから引き継いだもの」であり、もちろん「神のみこころ」でした。

しかし、主の軍の将は言ったのです。

「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である」

「履き物を脱ぐ」とは「自分の権利を放棄すること」を表します。ヨシュアは「自分の思い、願い、やり方」を放棄する必要がありました。聖なる地では「自分の権利」を主張することはできないのです。

「主のみこころを行うのだから、当然、味方してくださいますよね」と私は思います。しかし、それは「不遜な思い」「大きな勘違い」です。

「味方か敵か」と問う前に「服従」があることを忘れてはなりません。

あなたの使命が「主のみこころ」であるのは確かなことでしょう。

しかし「あなたのやり方」はどうでしょう?

私たちは「主のみこころ」を「主の方法」で行う必要があります。

私は「履き物を脱いで」ひれ伏さなければなりません。「味方か敵か」と問う前に、まず「自分の権利を放棄」しなければなりません。

そして「主よ、私はあなたのみこころに添いたいと願います。私こそ、あなたの側につく者としてください」と言うのです。

主の軍の将は「履き物を脱いだヨシュア」にエリコ攻略の方法を指示されたのです。

それは、人間が思いつくような方法ではありませんでした。誰が「ただ周囲を歩くだけ」で城壁が崩れると考えるでしょう。ヨシュアは「不思議な戦略」を受け入れるために整えられたとも言えるかもしれません。

「どのようにして」という方法は、主が与えられます。私たちの神は「万軍の主」ですから様々な戦法を持っておられます。

「みこころ」に従うとは「方法」も従うことです。私たちは「何を命じられても」従うだけです。

私はまず「履き物を脱ぐ」必要があります。私の方法、思い、考えのすべてを放棄しなければなりません。

全き明け渡しこそ「圧倒的な勝利」の秘訣であると私は信じます。

あなたが「履き物を脱いで、すべてを明け渡す」なら、主はあなたの「味方」です。

私は履き物を脱ぎます
方法も、すべて主のものです
私はすべてを明け渡します