No.284 罪の贖いは「永遠に完成」しています

永遠に完成

レビ16:22
雄やぎは彼らのすべての咎を負って、不毛の地へ行く。その人は雄やぎを荒野に追いやる。

アザゼルのための雄やぎは去っていくのです

レビ記16章には「第七の月の十日」に行われる大切な儀式について記されてます。

レビ16:30
この日は、あなたがたをきよめようと、あなたがたのために宥めが行われるからである。あなたがたは主の前ですべての罪からきよくなる。

この日は、イスラエルがきよくなる日です。「贖いの日」です。

年に一度、大祭司が至聖所に入るのです。彼は「すべての民のための宥め」を行います。

その日には、二匹のやぎが用意されます。

レビ16:8
雄やぎ二匹のためにアロンがくじを引く。一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。

一匹のやぎは「罪のためのきよめのささげ物」とされます。つまり、血を流すためのやぎです。

もう一匹のやぎは「アザゼルのため」に生かされます。アザゼルとは「完全な除去」という意味だと言われます。

レビ16:21
アロンは生きている雄やぎの頭に両手を置き、それの上で、イスラエルの子らのすべての咎とすべての背き、すなわちすべての罪を告白する。これらをその雄やぎの頭の上に載せ、係の者の手でこれを荒野に追いやる。

雄やぎは、全イスラエルの「すべての罪」を頭に載せて、荒野に追いやられるのです。

レビ16:22
雄やぎは彼らのすべての咎を負って、不毛の地へ行く。その人は雄やぎを荒野に追いやる。

係りの者が、イスラエルの民の目の前から「雄やぎ」を引いて行きます。

民は見ます。

自分の「すべての罪」が引かれて去っていく姿を。

その姿が、みるみる小さくなって、そして完全に見えなくなってしまうまで見送ります。

あの雄やぎは、もう二度と姿を現しません。「荒野のアザゼルのもとへ」追いやられたのだと、民はみな知っていました。

バプテスマのヨハネは、イエス様を見たときに言いました。

ヨハネ1:29
その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊、

イエス様は、私たちのための「罪のためのきよめのささげ物」です。

そして、同時に「アザゼルのためのやぎ」でもあられます。

私は、十字架に、私の「すべての罪」が釘付けられたのを見ます。

そして、そのために血が流されたのを見ます。

私は、主イエスが苦しまれ息を引き取られたのを見ます。

そして、葬られたことを見たのです。

私は、私のすべての罪が「葬られた」のを見たのです。

「罪となられたキリスト」が死んで葬られたとは、そういうことです。

「死者の中から最初に生まれた方」は、もう「罪を負って」はおられません。

それは「葬り去られ」ました。

私たちの「過去の罪」も「現在の罪」も「未来の罪」も贖われたのです。贖いは「完成」しています。

ヘブル10:14
なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、ひとつのささげ物によって永遠に完成されたからです。

主の贖いは「永遠に完成」されています。

イスラエルは「アザゼルのための雄やぎ」を見ました。そして、自分の罪が「完全に除去された」ことを知ります。

私たちは「世の罪を取り除く神の子羊」を見ます。そして「すべての罪が取り除かれた」ことを信じるのです。

イスラエルの儀式は、毎年、繰り返す必要がありますが、私たちのイエス様は「永遠に完成」してくださったので、二度と繰り返す必要はありません。

私の罪は「十字架に釘付けられ」ました。すべての罪がそこにつけられたのです。

しかし、今や「キリストはよみがえられ」ました。もう十字架についてはおられません。

私たちは「永遠に完成された」御業にあって生かされているのです。

「過去」も「現在」も「未来」も、すべてが贖われています。

私の罪は十字架に釘づけられました
葬り去られ戻って来ません
私は完全に解放されています