創世記7:17~18
大洪水は四十日間、地の上にあった。水かさが増して箱舟を押し流されたので、それは地から浮き上がった。
水がみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。
箱舟は浮き上がり、漂うだけです
ノアが造った箱舟には「舵」はありませんでした。
ノアは、主の言われとおりに箱舟を造ったのです。ということは、主は箱舟に「舵」は必要ないと思われたということです。
「舵」とは辞書によると「船の方向を定める船具、乗り物の方向を定めるもの」のことです。
「舵」というのは「思い通りのところに導くもの」です。
箱舟には「思い通りのところに導くもの」は設置されていませんでした。その必要がないと、主が思われたからです。
大水は増し加わり、箱舟は浮き上がります。そして、どんどん水かさが増すにつれて、箱舟は漂い始めるのです。
人生を主の御手に委ねるのは不安でしょうか。
イエス様を信じて歩む人生は、箱舟に乘ることに似ているなと思います。
私たちは「イエス様を主とします」と告白したとき、「舵」のない箱舟に乗り込むことに同意したのです。
それはつまり自分を「思い通りのところに導く」ことを放棄したということです。
あなたの「計画」は「良い」ことかもしれません。あなたの「望み」は「良い」ことかもしれません。しかし、それが「みこころ」であるとは限りません。
私は「計画を立てるな」「目標、望みを持つな」と言っているのではありません。それらをすべて「委ねよ」と言っているのです。
私たちの「行き着く先」は、主がお定めになります。舟の進む方向を決めるのは、主ご自身なのです。
主を先導しようとしてはなりません。行き先を指示してはなりません。
主が導かれるところが「最も良い」ところであると信頼するのです。
この世は「自分の舵は自分で握れ」と言います。そうでないと押し流されてしまうと言うでしょう。
覚えてください。
「舵」はないけれど、箱舟は押し流されません。箱舟は「浮き上がる」のです。そして、決して沈まないのです。
箱舟に乗り込みなさい。そうすれば「この世」から浮き上がれます。そして、浮き上がったならば、あとは、すべてをお任せして「漂う」だけです。
そうすれば、主がふさわしい場所に導いてくださいます。
私は「舵」を放棄します
すべてを主にお任せします
主が導かれるところが最も良いところです