No.192 箱舟には「舵」はありません

浮く赤ちゃん

創世記7:17~18
大洪水は四十日間、地の上にあった。水かさが増して箱舟を押し流されたので、それは地から浮き上がった。
水がみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。

箱舟は浮き上がり、漂うだけです

ノアが造った箱舟には「舵」はありませんでした。

ノアは、主の言われとおりに箱舟を造ったのです。ということは、主は箱舟に「舵」は必要ないと思われたということです。

「舵」とは辞書によると「船の方向を定める船具、乗り物の方向を定めるもの」のことです。

ヤコブ3:4
また船を見なさい。あのように大きくて、強風を受けていても、ごく小さい舵によって、舵を取る人の思い通りのところへ導かれます。

「舵」というのは「思い通りのところに導くもの」です。

箱舟には「思い通りのところに導くもの」は設置されていませんでした。その必要がないと、主が思われたからです。

大水は増し加わり、箱舟は浮き上がります。そして、どんどん水かさが増すにつれて、箱舟は漂い始めるのです。

人生を主の御手に委ねるのは不安でしょうか。

イエス様を信じて歩む人生は、箱舟に乘ることに似ているなと思います。

私たちは「イエス様を主とします」と告白したとき、「舵」のない箱舟に乗り込むことに同意したのです。

それはつまり自分を「思い通りのところに導く」ことを放棄したということです。

あなたの「計画」は「良い」ことかもしれません。あなたの「望み」は「良い」ことかもしれません。しかし、それが「みこころ」であるとは限りません。

私は「計画を立てるな」「目標、望みを持つな」と言っているのではありません。それらをすべて「委ねよ」と言っているのです。

詩篇37:5
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

私たちの「行き着く先」は、主がお定めになります。舟の進む方向を決めるのは、主ご自身なのです。

主を先導しようとしてはなりません。行き先を指示してはなりません。

主が導かれるところが「最も良い」ところであると信頼するのです。

この世は「自分の舵は自分で握れ」と言います。そうでないと押し流されてしまうと言うでしょう。

覚えてください。

「舵」はないけれど、箱舟は押し流されません。箱舟は「浮き上がる」のです。そして、決して沈まないのです。

箱舟に乗り込みなさい。そうすれば「この世」から浮き上がれます。そして、浮き上がったならば、あとは、すべてをお任せして「漂う」だけです。

そうすれば、主がふさわしい場所に導いてくださいます。

私は「舵」を放棄します
すべてを主にお任せします
主が導かれるところが最も良いところです