No.189 みことばを見出し食べました

赤ちゃんの食事

エレミヤ15:16
私はあなたのみことばが見つかったとき、それを食べました。そうして、あなたのみことばは、私にとって、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ、私はあなたの名で呼ばれているからです。

みことばは心の喜びです

 エレミヤは、主のみことばが見つかったとき、それを「食べました」と言っています。

彼にとって、それは「食べ物」でした。つまり、それはエレミヤの血となり肉となるということです。

エレミヤは、神のことばを預言したので、人々から迫害を受けていました。

「私があなたのためにそしりを受けていることを知ってください」と訴えています。

そのような状況の中で、彼は「みことばが見つかったとき」と言っているのです。

苦しい状況の中で「みことば」を必死に見出そうとしているエレミヤの姿が浮かびます。

そして、見つけた「みことば」を「食べた」のです。

そうすると、苦しい厳しい状況にあっても、それは「楽しみ」となり「心の喜び」となったのです。

私たちは「みことば」に「楽しみ」と「喜び」を見出すことができます。

それは、外側の状況がどのようであったとしても、私たちから取り去られることはありません。

なぜなら、私たちは「みことば」を「食べる」のですから。「食べた」ものを誰かが奪い去ることは不可能なのです。

「食べる」とは、一体になるということです。「食べる」ことは、あなた自身を生かすということです。

詩篇119:50
これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、あなたのみことばは私を生かします。

私たちは「みことば」によって生かされています。

私は、もっと「みことば」の力を実感し、体験できるようにと切に願っています。

どん底から、私たちを引き上げる力が「みことば」にはあります。

聖霊様によって語られた「みことば」は、私たちを強くし堅く立たせることができるのです。

エレミヤのように、その苦しみの最中にあっても「みことば」を見出し「食べる」ことができますように。

そうして、どのような時でも「楽しみ」となり「喜び」となる「みことば」を経験することができますように。

主よ、私に「みことば」を見出させてください
あなたの「みことば」こそ真理です
私は「みことば」によって生かされています