Ⅱ歴代誌20:12
私たちの神よ。彼らをさばいてくださらないのですか。攻めて来るこの大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのか分かりません。ただ、あなたに目を注ぐのみです。
どうすればよいのか分かりません
ヨシャファテ王は、自分たちの無力さをよく分かっていました。アラムから攻め上って来た大軍を見てヨシャファテ王は恐れました。
この善王は、恐れる心を主に向けました。大軍が攻めて来るのを知って動揺しましたが、心に決めて主を求めたのです。
そして祈りました。
「どうすればよいのか分かりません」と彼は言ったのです。
私もいつも思うのです。「どうすればよいのか分からない」と。目の前の出来事を見て途方に暮れてしまうのです。
「どうすればよいのか分かりません」そう祈ったヨシャファテに、主は言われます。
「この大軍のゆえに恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである」と主は言われました。
私たちは「大軍を見て」恐れてしまいます。しかし、「大軍」に目を注いではなりません。私たちは、ただ主にだけ目を注ぎます。
それは「問題から目を背ける」ことではありません。
問題が起こっているのは現実です。それを無視してはなりません。しかし、悪いことの外観に囚われてはなりません。それは、確かに攻めてきますが「恐れてはならない、おののいてはならない」のです。
私たちは自分の無力を認めます。自分の力では対処できないことを認めます。「どうすればよいのか分からない」ことを認めます。
その上で「ただ、あなたに目を注ぐのみです」と告白するのです。
悪が猛威を奮うように感じるとき、その現実に押しつぶされそになるとき、私たちは「主に目を注ぐ」のです。
主が「戦って」くださいます。「これは神の戦いである」と主は言われます。
私たちは「神に戦って」いただきましょう。主が立ち上がられるなら、敵は退くしかありません。
「どうすればよいのか分かりません」と告白できる人は幸いです。自分の無力を認めることのできる人は幸いです。
「ただ、あなただけに目を注ぎます」と言う人は幸いです。
主は、その人のために「戦って」くださいます。そして、主が戦われるならそれは常に勝利です。
私は「どうすればよいのか分かりません」と告白します。
主にだけ、ただ主だけに目を注ぎます。
主が戦ってくださるので、私は勝利です。