マタイ7:21
わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころをを行う者が入るのです。
主の名によって預言し、悪霊を追い出しても
終わりの日に「多くの者」が「なぜ?」と言うのです。
彼らは「預言をし」「悪霊を追い出し」「奇跡を行った」のです。
彼らは、立派な人に見えます。彼ら自身も「自分は大丈夫。立派に行った」と思っていたでしょう。
しかし、イエス様は言われます。
これ以上の絶望はありません。これ以上の悲劇もありません。しかし「その日」には「多くの者」がこのように宣告されるのです。
私たちは「預言をし」「悪霊を追い出し」「奇跡を行っ」ている人々を見ると、彼らが「主と素晴らしい関係」を持っているのだろうなと思います。
しかし「賜物を行使する」ことと「主との素晴らしい関係を持っていること」は常に「=イコール」ではありません。
もちろん、多くの預言者や伝道者は「主との素晴らしい関係」の中に保たれているでしょう。しかし、それは「賜物を行使」しているから保たれているのではないのです。
バラムは素晴らしい預言をしました。彼は言いました。
ベオルの子バラムは、私たちの救い主イエス様について預言しました。
これは素晴らしい預言です。格好いい預言です。そして、ほんとうに「神からのことば」でした。
しかし、バラム自身は「神」ではなく「不義の報酬」を愛した人として知られています。そして結果的に、イスラエルに滅ぼされます。
私たちは「行い」では御国に行くことはできません。私たちが「預言」をしても「奇跡」を行っても、たとえ「死者をよみがえらせても」その「行い」では御国に入ることはできないのです。
追い求めるべきは「天の父のみこころ」です。
「天におられるわたしの父のみこころをを行う者」が天の御国に入るとイエス様は言われました。
「天の父のみこころ」とは「イエス・キリスト」です。
イエス様こそ「神を説き明かされた方」です。イエス様は「神の本質の現れ」です。イエス様こそ「神のことば」です。
私たちは、心を尽くして「キリスト」を思い求めます。
「賜物」ではなく、その「与え主」を慕います。
「現われ」に目を奪われてはなりません。
その「実」によって見分けるのです。「実」はイエス様を離れては決して結べないからです。
私たちは「その日」を喜んで迎えましょう。
そのために「天の父のみこころ」を切に慕い求めましょう。
私は、イエス様を求めます
「行い」ではなく「信仰」によって救われることを感謝します
「現われ」に惑わされることがありませんように