ヤコブ5:7
ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
蒔いた種を信頼することです
農夫は「雨が降るまで耐え忍んで待っている」とヤコブは言います。
なぜ農夫は、待つことができるのでしょう。
それは「蒔いた種は必ず刈り取ることができる」と信じているからです。
私たちは「種」を祝福しましょう。
この国には、長い時をかけて、多くの宣教師、伝道者、主にある聖徒たちが「みことばの種」を蒔いてきました。私たち自身も、微力ながら「みことばの種」を蒔いてきたのではないでしょうか。
「みことば」には力があります。「種」にはいのちがあります。
私たちは、そのことをもっと信じましょう。
主のことばは、決して「空しく地に落ちる」ことはありません。
必ず「実を結ぶ」のです。
農夫は「種の力」を疑いません。「雨さえ降れば収穫できる」と信じています。
私たちも信じましょう。
「雨」を求めて祈りましょう。聖霊の傾注を切に求めましょう。
「蒔かれた種」を祝福しましょう。
それは、今、芽を出し、根を張りつつあります。「大雨」が降ったなら、一気に成長するでしょう。
農夫は「ただ待っているだけ」ではありません。「種」を見守り、雑草を取り除け、畑を見張っています。
私たちも「祈り」によって見張り人になることができます。
私たちは「みことばの種」の力を信じ「祈りによって見張りつつ」「聖霊の雨」を待ち望むのです。
御言葉には力があります。種にはいのちがあります。主のみことばは「必ず成り」ます。
その「確信」を投げ捨てないようにしましょう。大きな「報い」があることを期待しましょう。
主は、終わりの日に「前代未聞の大収穫」を備えておられます。
種は蒔かれています。そして、蒔き続けられています。あるところでは「すでに収穫」がもたらされているでしょう。それが全国に広がりますように。
チャールズ・フィニーは「リバイバルは小麦の収穫以上の奇跡ではない」と言いました。
「リバイバル」は、みことばの種を蒔いて、そこに雨さえ降れば「必ず起こる」ということです。
それは「必ず起こる」のです。
農夫の忍耐が与えられますように。
私たちは「耐え忍んで待ち」ます。
その忍耐は、決して失望に終わることはありません。
後の雨を降らせてください
主のみことばの力を信じます
蒔かれた種を祝福します