No.468 私は「それらを」持って行きます。主よ、きよめてください。

きよめる

ヨハネ2:18
鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」

イエス様は宮きよめをされました

過越しの祭りが近づいたので、イエス様もエルサレムに上られました。

ヨハネ2:14~15
そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、

宮の中に入られたイエス様は、商売人、両替人たちを見ました。宮の中で売り買いがなされていて、その商売は繁盛しているようでした。

人々は、祭りのためにエルサレムに上って来ます。遠くから旅をして来る人々も多かったのです。そのような人々は、犠牲の動物を抱えて旅をしてくるわけにはいきません。ですから、みな現地で調達していたのです。

また、宮では「聖所のシュケル」しか使用できませんでした。つまり「宮」だけでしか使えない通貨があったのです。人々は、一般に使用できる通貨を「聖所のシュケル」に両替する必要がありました。

「犠牲の動物」を売る人も、両替人も、ある意味において「必要」でした。それで「助かった人たち」もいたからです。

しかし、イエス様は「宮」の様子を見て憤りを覚えられました。

まず、細縄でむちを作られました。それで「動物」を追い出されました。それから、両替人の「金」を散らし、台をひっくり返されました。

彼らの多くは「不正な利益」を得ていたようです。傷物の動物を売ったり、両替金を誤魔化したりしていたようです。

しかし、イエス様は「不正な商売」に対して怒られたのではないと私は思います。

イエス様は「不正なことをするな」と言われたのではなく「父の家を商売の家にするな」と言われたのです。

もちろん「商売」そのものに反対しておられるのではありません。

それが「父の家」でなされていることに怒っておられるのです。

「正しい商売」であっても「不正な商売」であっても、それは「父の家」でなされるべきではないのです。

「商売」とは「利益」のために行うものです。「儲け」を考えずに商売をする人はいません。

しかし「父の家」つまり「神殿」では「自分の利益」を求めてはならないのです。

ヨハネ2:18
鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」

「それをここから持って行け」とは、原文では「それらを」と複数形になっています。

私たちは「神の神殿」であることを覚えていなければなりません。

私は「利益」「損得」「儲け」のために生きてはいないでしょうか。

私は「何か」持っていかなければならないものがあるでしょうか。

それが「正しいこと」であったとしても…

それが「必要なこと」であったとしても…

神の栄光のためにではなく、自分の利益のために行っているならば、私は「それらを」心から追い出す必要があります。

ヨハネ2:12
弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。

主よ、私の心をきよめてください
ただ御名の栄光だけを望みます
あなたの熱心な思いを感謝します