ピリピ4:4~5
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。
ある姉妹が教えてくれたのです
どのようにすれば、人をイエス様のもとに導けるのだろうと思い悩んだことがあるでしょうか。
家族とか、友人とか、会社の人とか、何とかしてイエス様を伝えたい、教会に誘いたいと思ったことはありますか。
ある人は、「伝道しろ」「救霊の思いを持て」と言われるのが苦痛だと言っていました。
なぜなら「救われて欲しい」とは思うけれど、何を話せばいいのか分からないし、聖書箇所もよく知らないし、何より、イエス様について人に話すのが怖いからだと。
しかし「話す」ことだけが伝道の方法なのではありません。むしろ、言葉より、私たちの「生き様」の方が雄弁であるものです。
ある姉妹、仮にAさんとしましょう。Aさんのお姉さんが、まず救われたのです。
お姉さんは、積極的な性格で、楽しいことが大好きだったそうです。アイドルのライブや、テレビの収録を見に行ったりするのが好きな明るい大学生でした。
けれど、ある時期から、そのようなことをピタッとしなくなったというのです。
しかし、遊びには行ってないみたいだけれど、週末になると、どこかに出かけていくのです。
聞いてみると「キリスト教会」に行くようになったのだとか…
Aさんは、最初「お姉ちゃん、大丈夫か?」「なにか悩みごとでもあったのか?」「騙されてないだろうね?」と思ったそうです。
けれど、いくらお姉さんを観察しても「悩み」があるようには見えません。むしろ、楽しそうなのです。
毎日、喜びにあふれていて、鼻歌(賛美のことです)なんか歌って嬉しそうにしてるのです。
そして、それが毎日、毎日、続くのです。
Aさんは、とうとう我慢できなくなって「お姉ちゃん、私も教会に行きたい」と言ってしまったそうです。
その証をAさんは笑いながら教えてくれました。
そして言ったのです。
「本当に、最初は、ただ悔しかっただけ。お姉ちゃんばっかり楽しそうでズルいと思ってた」と。
愛する兄弟姉妹。
私たちは、まず「喜び」ましょう。喜びにあふれるように求めましょう。
どうすれば上手く話せるかと、眉間にシワを寄せて考え込む前に、喜びを爆発させましょう。神の国は「聖霊の喜び」に満ち溢れているのですから。
主が、あなたを「人がうらやましいと思うほどの喜び」であふれさてくださいますように。
あなたの「喜び」を見て、他の人が「私も欲しい」と思いますように。
私たちの喜びは「主にある」喜びです。「主を喜びとする」喜びです。何か「喜べること」を必死で探すものではありません。
「主にある喜び」なのです。それは、誰にも奪えないものです。
そして、どんなときにも涸れないものです。
聖霊の喜びであふれさせて下さい
周りの人がうらやましがるほどの喜びであふれさせて下さい
私は、ただ主を喜びとします