【Ⅰテサロニケ4:17~18】
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主と共にいることになります。ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。
励まし合いましょう
「これらのことばをもって励まし合いなさい」とパウロは言っています。
「これらのことば」とは「空中で主と会うこと」「いつまでも主とともにいること」です。
これは「励まし」になることばであるとパウロは言っているのです。
私も「励まし合いたい」と思います。
しかし、私たちは何を「励み」として生きているでしょう。
「励み」とは辞書で調べますとこのような意味です。
励みとは、自分にとってのやる気の源や心の支えになるもの
実用日本語表現辞典
私たちは何を「励み」として生きているでしょう。
昇給ですか?
御馳走ですか?
旅行に行ったり服を買ったりすることですか?
どれも「やる気」がでることです。実際に「励み」としている人も多いでしょう。私も、週末は「焼肉」だと思うと「やる気」がでます。
しかし、これらの「ささいな世の中の楽しみ」では、終末の時代を生き抜く「やる気の源」「心の支え」にはなり得ません。
本当の私たちの「励み」「やる気の源」「心の支え」とは何でしょう?
「励み」とは、「これがあるから生きていける」というものです。
パウロはテサロニケの人々に「落ち着いた生活をするように」と言っています。終末の時だという認識は必要だけれど、私たちは「落ち着いて」毎日の生活を誠実に歩まなければなりません。
毎日、誠実に一生懸命に生きて行くためには「励まし合うこと」が必要不可欠です。
「もうすぐ主が来られる」
「必ず主と空中で会える」
「いつまでも主とともにいることができる」
これらの言葉はあなたの励みになりますか?
私たちは「励まし合い」ましょう。
私たちの望みは「主」です。
「主が来られること」「主とお会いすること」「主とずっと一緒にいること」は、私たちの最大最高の望みであり喜びです。私は、その望みがあるからこそ、地上で暮らしていけるのです。
私たちは、主イエスを待ち望みます。
イエス様こそ私の望み、喜びです。