ローマ4:4
働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。
恵みの中に生かされているのです
朝から晩まで、身を粉にして働いて「辛苦の糧」を食べるのは「むなしい」と聖書は言います。
それは、一生懸命に働くのが「悪いこと」であるという意味ではありません。主に置かれた場所で、精一杯に生きることは素晴らしいことです。
しかし、考えてみてください。
あなたは「雇われ人」でしょうか。
それとも「子ども」でしょうか。
もし、私が「不平不満」を持つのであれば、私は「雇われ人」です。しかし、私が「感謝」を持つのであれば、私は「神の子ども」です。
私たちは、時々、誤解してしまうのです。
主が「与えてくださる」のは、私が「頑張ったからだ」と思ってしまうのです。
もちろん、私たちは「恵みによる救い」を信じていますから、大っぴらにそんな風には言いません.
しかし、思ってしまうのです。
「今日は、聖書を読まなかったから祝福されなかったのだ」
「これだけ祈って、断食までしたのだから、きっと祝福してくださるだろう」
私たちは、知らず知らずのうちに「雇われ人」になってしまっているのです。
「雇われ人」であるならば、働きに見合った報酬を要求するでしょう。そして自分が思った通りの報酬でなければ不満を感じるでしょう。
もし、あなたが不平不満を抱きながら生きているならば、あなたは「雇われ人」なのです。
何かをした見返りに「祝福」が与えられるとするならば、それは、もはや「恵み」ではありません。
何の働きもない者に与えられるからこそ「恵み」なのです。
主は、私たちが必死で働いたから祝福してくださるのではありません。主は「愛する者」には、眠っている間に備えてくださるのです。
「何をすれば祝福されるのか」と問うのは、もうやめましょう。
「何をすれば」
「どこへ行けば」
それらは「雇われ人」の質問です。「何かをすること」によって与えられるものは「報酬」です。
しかし、主が私たちにくださるのは「恵み」です。
そして「恵み」とは「信じる者」に与えられるのです。
「神が遣わした者」すなわち、イエス様を信じる者は「恵み」によって救われるのです。
私たちは、常に「信じる者」に与えられる「恵み」によって生きるのです。
あなたが「イエス様を信じる者」であるならば、御父は「御子を愛する愛」によって祝福してくださいます。
主が、私たちに望んでおられるのは、徹頭徹尾、ただ「信頼」することだけです。
私は恵みの中を生かされています
私は、ただ主を信頼します
私はイエス様にあって祝福されます