【創世記2:7】
神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
人は大地の「ちり」から造られました
「ちり」とは「はかなく」「もろい」ものです。
最も低いところにあるものです。
自分の成り立ちが「ちり」であると知るなら、誇れるものは何もないと素直に思うことができるでしょう。
人は「ちり」から形造られたのです。
主は、人の成り立ちをよく覚えておられます。
主は、私たちをどのようにして造ったのか覚えておられます。
私たちが土のちりに過ぎないことを心に留めてくださるので、ご自身の憐れみを注いでくださるのです。
主は、人がご自身を離れては生きることができないことを誰よりもご存知なのです。
だから、依り頼めと言われるのです。
私はちりから造られました。
自分を見れば失望するのは当然です。
私は弱いのです。
私はもろいのです。
ちりが一体何になれるでしょうか。
私は自分の力では何ものにも成れないのです。
しかし、主の御手にあるとき、それは一変します。
主は、すべてのものを「ことば」によって生じさせられました。
しかし、人だけは形造ってくださったのです。
最も高いところにおられる方が、最も低い大地の「ちり」に目を留められました。
「はかなく」「もろいもの」で、「全能の力ある神」が形造ったもの、それが「人」なのです。
そして、人にいのちの息が吹き込まれました。それで人は「生きるもの」となったのです。
私は確かに「ちり」で造られました。しかし、同時に「主なる神」の「作品」でもあります。
私は「主なる神」によって「最高傑作」とされるのです。
私は、もう良い行いを自分で探しません。私は自分で「何か」になろうともしません。
ただ、主の御手の中で、主の御旨にかなう器にしてくださいと願います。
私は主に信頼します。
私は主にすべて委ねます。
主の御心のままになりますように。