No.208 傲慢の罪からお守りください

おもちゃと赤ちゃん

Ⅰ歴代誌21:1
さて、サタンがイスラエルに向かって立ち上がり、イスラエルの人口を数えるようにダビデをそそのかした。

ダビデは、そそのかされたのです

Ⅰ歴代誌21:2
ダビデはヨアブと民の長老たちに言った。「さあ、ベエル・シェバからダンに至るまでのイスラエルの数をかぞえ、私に報告しなさい。その人数を私が知るためだ。」

ベエル・シェバからダンまでとは、イスラエルの端から端まで、すべてという意味です。

ダビデは、全イスラエルの人口調査を部下たちに命じたのです。しかし、それは純粋な人口調査ではなく、戦う者の数を知るための調査でした。

つまり、ダビデは、自分がどれほどの「軍事力」を持っているのかが知りたかったのです。

イスラエルには剣を使う兵士が80万人いました。そしてユダの兵士は50万人でした。

しかし、兵士の数を数えたところで何になるのでしょう。この時、ダビデは、具体的な数を知る必要があったわけではないのです。ダビデは、ただ「知りたっかった」だけなのです。

詩篇33:16~17
王は 軍勢の大きさでは救われない。勇者は 力の大きさでは救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならず 軍勢の大きさも救いにはならない。

ダビデは、軍事力など何の頼りにもならないことを知っていました。彼は、今まで、ただ主だけに依り頼み、勝利を与えられてきたのです。

しかし、晩年になって、ダビデはサタンにそそのかされてしまいました。サタンは、ダビデの心のうちに高慢の種があること見逃しませんでした。

「どれぐらい勇者がいるのか数えてみてはどうか。神がおまえをどれほど強くしてくださったのか知りたくないか。おまえの価値がどのぐらいなのか知りたくはないか」とささやいたのでしょう。

高慢の罪とは恐ろしいものです。ダビデであっても、そそのかされてしまうのです。

常に自分自身を正しく保ち、御前にへりくだって生きることのなんと難しいことでしょう。

私たちは,常に「振り子」のように揺れてしまいます。

自分にはできると高ぶったり、自分なんかダメだと卑屈になったり、心は「振り子」のように揺れ動きます。

高ぶることも卑屈になることも、主の御前にはどちらも「高慢の罪」です。

私たちは、自分のことを「判断」することをやめましょう。

Ⅰコリント4:3
しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません。

私たちは「自分で自分をさばく」ことをやめましょう。

自分が何であるのか、人にどう思われるか、そのようなことは「非常に小さなこと」なのです。

たくさんの勇者を持つことは、ダビデを強く見せるかもしれませんが、実際に強いのは、主なる神です。

私たちが、素晴らしい奉仕をしても、素敵な賛美を奏でても、多くの人に御言葉を解き明かしても、実際に、いのちを流されるのは聖霊様です。

反対に、他の人から認めてもらえなくても、あいつはもうダメだと思われても、外側からどのように見えたとしても、主に「よくやった。忠実なしもべよ」と言われれば、それでよいのです。

サタンが「あなたの価値はどれほどのものか」とささやいても耳を貸してはなりません。

エレミヤ9:23~4a
ー主はこう言われるー
知恵ある者は自分の知恵を誇るな。富ある者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。

私たちは、毎日、心を尽くして祈り求めましょう。本当に切に求めましょう。

詩篇19:13a
あなたのしもべを 傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。

私は主を誇ります
傲慢の罪から私を守ってください
高ぶることも卑屈になることもありませんように