Ⅰ歴代誌21:1
さて、サタンがイスラエルに向かって立ち上がり、イスラエルの人口を数えるようにダビデをそそのかした。
ダビデは、そそのかされたのです
ベエル・シェバからダンまでとは、イスラエルの端から端まで、すべてという意味です。
ダビデは、全イスラエルの人口調査を部下たちに命じたのです。しかし、それは純粋な人口調査ではなく、戦う者の数を知るための調査でした。
つまり、ダビデは、自分がどれほどの「軍事力」を持っているのかが知りたかったのです。
イスラエルには剣を使う兵士が80万人いました。そしてユダの兵士は50万人でした。
しかし、兵士の数を数えたところで何になるのでしょう。この時、ダビデは、具体的な数を知る必要があったわけではないのです。ダビデは、ただ「知りたっかった」だけなのです。
ダビデは、軍事力など何の頼りにもならないことを知っていました。彼は、今まで、ただ主だけに依り頼み、勝利を与えられてきたのです。
しかし、晩年になって、ダビデはサタンにそそのかされてしまいました。サタンは、ダビデの心のうちに高慢の種があること見逃しませんでした。
「どれぐらい勇者がいるのか数えてみてはどうか。神がおまえをどれほど強くしてくださったのか知りたくないか。おまえの価値がどのぐらいなのか知りたくはないか」とささやいたのでしょう。
高慢の罪とは恐ろしいものです。ダビデであっても、そそのかされてしまうのです。
常に自分自身を正しく保ち、御前にへりくだって生きることのなんと難しいことでしょう。
私たちは,常に「振り子」のように揺れてしまいます。
自分にはできると高ぶったり、自分なんかダメだと卑屈になったり、心は「振り子」のように揺れ動きます。
高ぶることも卑屈になることも、主の御前にはどちらも「高慢の罪」です。
私たちは、自分のことを「判断」することをやめましょう。
私たちは「自分で自分をさばく」ことをやめましょう。
自分が何であるのか、人にどう思われるか、そのようなことは「非常に小さなこと」なのです。
たくさんの勇者を持つことは、ダビデを強く見せるかもしれませんが、実際に強いのは、主なる神です。
私たちが、素晴らしい奉仕をしても、素敵な賛美を奏でても、多くの人に御言葉を解き明かしても、実際に、いのちを流されるのは聖霊様です。
反対に、他の人から認めてもらえなくても、あいつはもうダメだと思われても、外側からどのように見えたとしても、主に「よくやった。忠実なしもべよ」と言われれば、それでよいのです。
サタンが「あなたの価値はどれほどのものか」とささやいても耳を貸してはなりません。
私たちは、毎日、心を尽くして祈り求めましょう。本当に切に求めましょう。
私は主を誇ります
傲慢の罪から私を守ってください
高ぶることも卑屈になることもありませんように