2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.504 恐れの知らせではなく、主のことばを繰り返します

家の風景

ルカ8:50
これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われます。」

恐れないでと言われます

それは、すでに遅かったのです。

ルカ8:49
イエスがまだ話しておられるとき、会堂司の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」

それは、絶望の知らせでした。ヤイロの心中は察して余りあります。

せっかくイエス様に会えたのに…

もう少しで辿り着けたのに…

途中で割り込みが入らなければ…

イエス様がもう少し急いでくださったなら…

何を言っても、どれだけ悔いても、何の役にも立ちません。すべてが終わってしまったのです。

私たちにも、そのようなことが起こります。

何が悪かったのか…

どうすれば良かったのか…

悔いても悔やみきれない、言っても仕方がないけれど言わずにはおられない…

終わってしまったこと、失ってしまったもの…

あのとき、なぜイエス様は助けてくださらなかったのだろうと思うことが、私にもあります。

ヤイロの娘さんは、イエス様が来られる前に亡くなってしまいました。

ヤイロが、足もとから崩れ落ちてしまいそうになった、その時、イエス様が言われました。

ルカ8:50
これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われます。」

「恐れないで、ただ信じなさい」

それは、とても力強いことばであったに違いありません。

普通であれば、そんなことはとても信じられません。実際、「娘は眠っているのだ」とイエス様が言われた時、他の人々はあざ笑ったのです。

しかし、ヤイロは信じました。イエス様のことばの力強さが、彼の心に信仰を湧きあがらせたのだと私は信じます。

愛する兄弟姉妹。

主のみことばを聞きましょう。

あなたに語られる「力強いことば」があるのです。あなただけに語られる「主のことば」が必ずあります。

それを聞くのです。そうすれば、自分でも理解できない「信仰」が心の底から湧きあがるのを感じることができます。

絶望の知らせは、私たちを恐れさせます。その知らせを「何度も何度も」心で繰り返すたびに、私たちのたましいに「恐れ」が刻み付けられるのです。

「もう終わりだ」「すでに遅い」という声を、私たちは幾度も聞きます。その声を私たちは心の中で、何度も再生させています。

今、その再生を止める時です。

そして、イエス様の声を響かせるのです。

他の人は、あざ笑うかもしれません。

「そんなことは無理だ」

「失ったものは取り戻せない」

周囲の人は、そんな風に言うかもしれません。自分の心も、それに同調するかもしれません。

しかし、それでも私は信じます。私は信じたいのです。

「恐れの知らせ」を退けて、イエス様のことばを宣言して歩みます。

「恐れないで、ただ信じなさい」

私たちは、信じましょう。

信じるならば、必ず奇跡を見ることになります。

私は、恐れを退けます
主に不可能なことはないと宣言します
私は、必ず奇跡を見ます