ヨシュア1:9
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。おおしくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいるのだから。
タラントの量が問題なのではありません
このしもべの気持ちは理解できます。
彼は「失敗」を恐れたのです。彼は「1タラントしかない。こんなもので何ができるのか」と思ったのでしょう。そして、失うぐらいなら「埋めてしまえ」と考えたのです。しかし「埋める」ことは「死んだ」ことと同じなのです。
すべての問題は「恐れ」です。
何かを始めようとするときには「失敗したらどうしよう」と思います。「失敗しないために」どうしたらいいのかを考えます。
「リスク管理」などと言う便利な言葉を持ち出して、自分も他人をも納得させます。しかし、主はご存知です。私はただ「怖い」だけなのです。
「準備万端」に整えれば「恐れ」がなくなると思うのは大きな間違いです。私の「準備」はいつまでも整わないでしょう。あれこれと「言い訳」を見つけては「準備し続ける」に違いありません。
問題は「タラントの量」ではなく「恐れ」を乗り越えられないことなのです。
しもべは「賢くて」何もかも分かっていると思っていたようです。
「2タラント」「5タラント」を与えられた人たちが働いているのを見て、分かったような口を利いていたのです。彼は「頭でっかちなしもべ」だったのです。「できない理由」なら「いくらでも」考えつきました。
そのようなしもべのことを主人は「悪い怠け者のしもべ」と呼んで怒っているのです。
「タラントが少ない」ことは「何もしない理由」とはなりません。「2タラントの人」も「5タラントの人」も、何かを始めるときには「恐れ」を感じるのです。
「怠け者」と呼ばれる理由は、しもべが「恐れ」を克服することから逃げたからです。彼は「恐れ」を乗り越えることよりも「地に隠す」ほうを選んだのです。その方が「らくちん」だからです。これは「子ども」の考え方ですね。
「恐れるな」とは「命令」です。
私たちは「恐れてはならない」のです。「おののいてはならない」のです。それは「主がともにおられる」ことを否定することになるからです。
「モーセ」に比べたらとヨシュアは思ったでしょう。「偉大なしもべモーセ」に比べたら、自分なんて足元にも及ばないと思ったことでしょう。
しかし、誰かと比べることほど「無意味」なことはありません。ヨシュアはヨシュアでしかありません。逆立ちしてもモーセにはなれないのです。
私も同じです。どれだけ準備しても「1タラント」は「5タラント」にはなりません。「5タラント」にするには「1タラント」を用いて増やすしかないのです。
蒔かないならば刈り取れません。散らさないなら集めることはできません。パンは裂かれなければ増えません。
一歩踏み出さなければ、その先の導きは決して分からないでしょう。
「恐れ」にのまれてはなりません。主は、どこに行こうとも私とともにおられます。
主は、私とともにおられます
私には臆病の霊ではなく、愛と力と慎みの霊が与えられています
タラントの量は問題ではありません