No.220 私が「万軍の主の御名によって」立ち向かいます!

一人で自転車に乗る

Ⅰサムエル17:45
ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持ってわたしに向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。

ダビデはゴリヤテに立ち向かいました

イスラエルはペリシテ人と戦っていました。

Ⅰサムエル17:4
一人の代表選士が、ペリシテ人の陣営から出て来た。その名はゴリヤテ。ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。

約3メートルほどの身長がある大きなゴリヤテを見て、みな「気をくじかれて非常に恐れ」ていました。

王であるサウルも「恐れて」いたのです。

そこにダビデが現れます。

ダビデは戦士ではありませんでした。羊飼いでした。そして、ただ兄さんたちの安否を確認してくるようにと「おつかい」にだされただけの少年でした。

ダビデが「ゴリヤテを倒す」と言ったとき、誰もが「それは無理だ」と思いました。

サウル王は言いました。

Ⅰサムエル17:33
サウルはダビデに言った。「おまえは、あのペリシテ人のところに行って、あれと戦うことはできない。おまえはまだ若いし、あれは若いときから戦士だったのだから。」

「おまえには無理だ」と私の心も、周囲の人たちも言います。

「おまえには経験がない」「おまえには武器もない」「人脈もない」「財産もない」「お前には何もない」

そのような声を聞いて私は尻込みしてしまうのです。

ダビデの兄であるエリアブは言います。

Ⅰサムエル17:28
兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして言った。「いったい、おまえは、なぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私は、おまえのうぬぼれと心にある悪が分かっている。戦いを見にやって来たのではないか。」

私たちが「立ち上がる時」、サタンは言うのです。

「本当に、それは『みこころ』なのか。おまえの高慢、うぬぼれから出たことではないのか。ただ戦いに参加したいだけなのではないか」と。

ダビデは「父エッサイ」の命令で戦いの場に「おつかい」に出されたのです。自分の意志ではありません。

もし、あなたが「主の御思い」に満たされたのなら、誰が何と言おうと、自分の心が何と言おうと戦わなければなりません。

これは、主が用意された戦いでした。ダビデは「万軍の主の御名によって」立ち向かいました。

Ⅰサムエル17:45
ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持ってわたしに向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。

巨人ゴリヤテは、あなたが倒すべき相手です。リバイバルは「一人から始まる」と私は思います。いえ、「一人から」始まって欲しいと願っているのです。

「草の根」から広がる本物のリバイバルを私は祈り求めています。

マタイ18:20
二人か三人がわたしの名において集まるところには、わたしもその中にいるのです。

私は「二人・三人のグループ」「四人・五人のグループ」が日本の各地にできればよいと願っています。日本の都道府県の全部に少数のグループができるように祈っています。そして、その人々と一緒に日本を祈りで取り囲みたいのです。

そして、「少数のグループ」が「少数のグループ」を生み出していって、本当の弟子が増え広がるように願っています。

しかし、それもまずは「一人」からなのです。

皆がブルブルと震えているからと言って、あなたも同じように縮こまっている必要はありません。皆と同じ所にいて「誰か力ある勇士」が現れないかなと待っていてはいけません。

リバイバルに「スター」は必要ありません。この時のダビデは「スター」ではありませんでした。戦士でさえありませんでした。

ダビデのように「万軍の主の御名によって立ち向かう」人が必要です。敵の挑発に対して「気をくじかれ恐れる」人ではなく、主の御名によって立ち上がる人が必要なのです。

「立ち上がること」「立ち向かうこと」は高慢ではありません。それは、キリスト・イエスにある者なら当然するべきことなのです。

あなた「一人」が立ち向かうことが必要なのです。あなたが「万軍の主の御名によって」立ち向かうのです。

私は立ち上がります
私は主の御名によって立ち向かいます
私は主の御名によって勝利します