No.129 深く掘り下げれば、びくともしません

砂遊びの少年

ルカ6:48
その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。

二つの家の違いは明らかです

ルカ7:49
しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。

二つの家の違いは、「土台をしっかりと据えたかどうか」です。どちらの家も洪水を免れることはできません。どちらの家にも嵐は吹きつけます。聖徒であっても苦難には遭います。困難を経験します。私たちは、この世に生きている限り、何らかの苦難を経験します。

川の水が押し寄せると「土台のない家」は倒れます。しかし、「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えた家」は、しっかり建てられているのでびくともしません。

注意して見てください。

しっかり建てられた家は、ただ「岩の上」に建てられただけではないのです。「地面を深く掘り下げて」土台を据えた家なのです。しっかりと建てるためには「深く掘り下げる」ことが必要なのです。

私たちの土台は唯一です。

Ⅰコリント3:11
だれも、すでに据えてある土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

私たちの土台はイエス様です。私たちはみな、イエス様の上に建て上げられます。

しかし、それは、ただイエス様を信じると言えばいいだけではありません。イエス様は、この二つの家のたとえ話を、ご自分を「主よ、主よ」と呼ぶ人たちに語られたのです。

ルカ6:46~47
なぜあなたがたは、わたしを「主よ、主よ」と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。

イエス様を「主よ」と呼びながら、イエス様のもとに来て、その言うことを行わない人は「土台なしで建てた人」です。

「主よ」と呼んでいるので、イエス様という土台の上に建てたつもりではいますが、実際に「深く掘り下げ」ないので土台を据えられていないのです。

そのような人の信仰は、苦難に耐えることはできないでしょう。

しっかりとした家を建てるためには「深く掘り下げる」のです。

そのためには「主よ」と呼ぶだけではだめです。イエス様のもとに来て、イエス様の言われることを行うのです。

コロサイ2:6
このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおりに信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。

イエス様を「主よ」と呼ぶなら「キリストにあって歩む」ことです。

「深く掘り下げ」なさい。ただうわべだけ信仰者のように歩んでいても「キリストに根ざす」生き方はできません。

まず、イエス様のもとに来て、そのみことばを聞きましょう。聖書を深く学ぶのです。そして、心に植え付けられたみことばを素直に受け入れます。

「みことばを聞いて、その通りに行う」ことが「深く掘り下げる」ことです。

「深く掘り下げる」のには時間がかかります。

みことばを学ぶことは時間がかかります。みことばを聞いて行う生き方は、一日だけのことではありません。

私たちは、日々、深く掘り下げるのです。そして、それを続けるのです。

そうすれば、私たちは倒れることはありません。「しっかりと建てられて」いれば、びくともしない家になるのです。

私は、日々、みことばを学びます。
私は、日々、主に聞き従います。
私の信仰はイエス様によって堅くされます。

私は倒れることはありません。