心に恐れを覚える日に
ダビデの中には、恐れがありました。
ダビデは、恐れを感じていることをはっきりと認識していました。
しかし、ダビデは言います。
心の中に「恐れ」を感じつつも「あなたを信頼します」と言っているのです。
ダビデのうちに「恐れ」と「信頼」の両方が同時に存在しているのです。
私たちも、このような状態になることがあります。
恐れや不安が心に満ちています。
恐れは、私たちの「たましい」を支配します。
しかし、私たちの霊が「主を信頼しよう」と言います。
私たちの「内なる人」は、「善」を行いたいと願っているとパウロは言います。
同じように、私たちの「内なる人」は、「神に信頼したい」のです。
敵は、私たちの心を「恐れ」で支配しようとします。
イエス様は、私たちを「死の恐怖」から解放してくださいました。
しかし、偽り者であるサタンは、私たちがまだ解放されていないかのように「恐怖」で縛ろうとするのです。
ダビデは、自分の「霊」を奮い立たせました。
恐れのある日に、恐れに支配されませんでした。
ダビデは「宣言」しているのです。
「私が神を呼び求めた、そのとき、敵は退きます。なぜなら、神が私の味方だからです」と。
そして、続けて言います。
「みことばをほめたたえます」とダビデは言いました。
みことばは保証です。
みことばは確実です。
私たちは、みことばによって生かされます。
みことばは、絶対に空しく地に落ちません。必ず、主の望むことを成し遂げます。主の言い送られたことは必ず成功します。
みことばを投げつければ、敵は退きます。
私は、度々、この聖句を祈りで用います。
「みことばをほめたたえます」と告白すると、信仰がわきあがるのを感じます。
恐れを感じている「たましい」に自分を支配させてはなりません。
主を呼び求めましょう。
そして、みことばをほめたたえるのです。
「主にあって 私はみことばをほめたたえます」と宣言してください。
そうすれば、「内なる人」が、グンと強くなるのを感じるでしょう。
そうなれば、私たちは必ず言うことができます。
「神に信頼し 私は何も恐れません。人が私に何をなし得るでしょう」と。
私は恐れに支配されません。
主にあってみことばをほめたたえます。
神に信頼し何も恐れません。
人は私に何もなし得ません。