ダニエル2:30
この秘密が私に明らかにされたのは、すべての生ける者にまさって私に知恵があるからではなく、その意味が王に告げられることによって、あなたの心の思いを王自身がお知りになるためです。
ダニエルは王の夢を解き明かしました
ネブカドネツァル王に夢を見させたのは、主なる神です。
当時の世界帝国の王、ネブカドネツァルは、寝床で今後のことについて考えていたのでしょう。自分の国が、これからどうなっていくのかと思い巡らせていたのかもしれません。
主は、ネブカドネツァル王に「これから起こること」を示されました。それは、ネブカドネツァル王が思い巡らせていた以上のことであったと思います。
主は、この異邦人の王に「異邦人の時」が終わることを示されます。それは、人の手によらない永遠の国の訪れです。
王の夢の内容
ダニエルは、王の見た夢の内容を告げます。
それは「一つの巨大な像の夢」でした。
おそらく、主は、夢の解き明かしを教えてくださる際に、ダニエルに「王の夢」を本当に見せたのではないかと思います。
巨大な像は異常な輝きを放って立っていました。それは、見る者に恐怖を感じさせる像でした。
ダニエルは、像の姿形ではなく、その材質を詳しく述べます。「恐ろしい」という像が、どのような姿であったのかは私たちには分かりません。けれど、それが、よりいっそう不気味さを感じさせます。
一つの石は、人の手で切り出されたものではありません。もちろん、加工されたものでもありません。その「石」が、鉄と粘土の足を打つと、像の全体が砕け散ります。
像を打ち砕いた「石」は「大きな山」になります。そして、その山が「全土」を覆うのです。
これが、ネブカドネツァル王の見た夢でした。何とも不思議な夢です。
巨大な像は世界帝国を表します
さて、ここからダニエルの解き明かしが始まります。この夢は、ネブカドネツァル王に与えられた預言です。「これから起こること」が示されたのです。
私たちは、幸いにも、この預言が確かであることを知ることができます。
巨大な像は、この後に起こる「世界帝国」を表しています。ダニエルの解き明かしとともに歴史を確かめてみましょう。
ネブカドネッアル王の時代のバビロンは、とても栄えた強い国でした。主は、ネブカドネツァル王に「国と権威と力と栄誉」を授けられたのです。
ネブカドネツァル王は、夢にも思わなかったでしょうが、彼の権威のすべては「天の神」から授けられたものでした。
この「バビロンのネブカドネツァル王」こそ、巨大な像の「純金の頭」です。
「巨大な像」は「これから起こること」を表すものです。主は「巨大な像」によって「これから起こる国」を示されます。
次に起こるのは「銀の国」と「青銅の国」です。
バビロンの後に起こる第二の国は、キュロス王の「メド・ペルシャ」です。この国の時代に捕囚の民は解放され、エルサレムが復興します。
この国は「あなたより劣る国」と言われます。つまり、バビロンより劣るということです。「金の頭」より劣る「銀の胸と両腕」として表されます。
その次に起こる第三の国は、アレクサンドロス大王の「ギリシャ」です。「青銅の腹ともも」として表されます。
そして、最後に第四の国です。
第四の国については、他の国とは違う「強さ」が強調されています。
歴史の流れからすると、ギリシャの後に登場する国は「ローマ帝国」です。「鉄の足」として表されます。
第一の国から第四の国については、すでに歴史が明らかにしています。これらの国は、すでに興ったのです。そして、すでに消え去ったのです。
純金の頭 | バビロン |
銀の胸と両腕 | メディア・ペルシャ |
青銅の腹ともも | ギリシャ |
鉄のすね | ローマ |
一部が鉄で一部が粘土の足の国
ダニエルは、続けて「鉄と粘土の足と足の指の国」について解き明かします。
この国については「第五の国」と呼ぶ学者もいますし、「鉄のすね」から派生した国、つまり「第四の国の続き」とする先生方もいます。
私としては、呼び方は何でも構わないと思います。ただ、この国が「第四の国」と密接に関わっていることは確かです。
その国は、第四の鉄の国「ローマ帝国」のように一部は強いのです。しかし、粘土のようにもろい国でもあります。
彼らは、同じグループ、同じ民族とみなされますが、互いに団結することはありません。
この国は、分裂しているのです。ですから「一つの国」であると認識されないのではないかと思います。おそらく「連合国」のようなものであろうと考えます。
ローマ帝国の崩壊後、それに匹敵するような「一つの国」は出現していません。少なくとも、歴史の教科書には載っていません。しかし「連合国」は出現しています。
「鉄と粘土の足の指」を「鉄のすね」と同じだとみなす解釈があります。「ローマ帝国」は、今も続いていて、形を変えて残っているというのです。つまり、「ローマ帝国」の子孫は、みな、混じり合っていて同じ民族だけれど、個々の国は独立していて、決して「一つの国」にはならないということです。
そうすると、第四の国の時代は、まだ終わっていないということになります。別の言い方をするならば「パート1」は終わったけれど「パート2」は終わっていないという感じでしょうか。
これを「第五の国」とするのか「第四の国の続き」とするのかは、意見が分かれるところのようです。その他の説も合わせて吟味していくと、面白いけれど、頭はこんがらがります。ちなみに、私は個人的には「第四の国の続き」だと思っています。
打たれるのは足です
確かなことは「この王の時代」に「世界帝国」は滅ぼし尽くされるということです。
「この王の時代」とは「鉄と粘土の足」の時代のことです。
「一つの石」が打つのは、像の「鉄と粘土の足」です。打たれるのは「足」です。
人手によらず切り出された石とは、イエス様のことです。
イエス様こそ「試みを経た石」です。そして、イエス様の再臨こそ「鉄と粘土」を打ち砕き粉々にするのです。
私たちの主が、巨大な像を支配しておられるのは明らかです。人の目には、恐ろしく絶対に倒れそうにもない像が「一つの石」で砕け散るのです。
天の神は「鉄と粘土の足」の時代に「一つの国」を起こされます。それは、キリストを王とする永遠の国です。「鉄と粘土の足」が終わるとき「永遠の国」が到来するのです。
終わりの秘密が明らかにされる意味
ネブカドネツァル王の夢は「終わりの日に起こること」を示すものです。
ダニエルの時代には、これから後に現れる国は、まだまだありました。しかし、終わりの時の今、残された国は「一つ」しかありません。それも、第四の国からの続きと考えるなら、すでに始まっていると言えなくもありません。実際、もう始まっていると主張する説もあります。
さて、ここで、いつも言うことですが「気をつけて、うろたえないように」しなければなりません。
このような話をすると、必ず聞かれます。
「10人の王とは誰ですか?」
「10の連合国はどの国ですか?」
「EUは復興ローマ帝国ですか?」
正直に言いますが、答えはすべて「分かりません」です。私も興味がないわけではないので、一応、調べたり考えたりはします。
10ヶ国でなくて、大きな連合国の10人の代表かもしれないな、などと考えます。しかし、すべて「かもしれないな」です。断定はできません。
そのようなことは皆で、御言葉を学びながら、世界の情勢を見つつ考えていきましょう。しかし、それは最も大切なことではないことも覚えていてください。
それは、あなたの心の思いを知るためです
私たちに終末預言が与えらえている一つの理由は「あなたの心の思いをあなたが知るため」だと私は思います。
謙遜か高慢か。従順か不従順か。
主を愛するか、世を愛するか。
聖なる者か汚れた者か。
終末預言にじっくり向き合うと、私たちは自分の心を吟味せずにはおられません。
巨大な像は「異常な輝きを放って」その姿は「恐ろしい」ものでした。
これは、人の目から見た「世界帝国」の姿でしょう。「異常な輝き」に人々は恐れを抱きます。そして、ある人は、その輝きに憑りつかれてしまうでしょう。
ネブカドネッアル王は「純金の頭」だと言われました。確かに、彼にはすべてを支配する権威が与えられていました。その威光はまったく素晴らしいものでした。
しかし、バビロンがどれだけ素晴らしくても、いつかは消え去るのです。
最後の国、反キリストの治める世界はどうでしょう。それは、確かに恐ろしいでしょう。そして「異常な輝き」を放つでしょう。
終わりに向けて「この世」はますます「異常な輝き」を放ちます。それに惹きつけられる人々は多いでしょう。
けれど、私たちは知っています。
その「輝き」は偽物であり、獣の国は最終的には滅び失せます。
ネブカドネッアル王は、巨大な像の「金の頭」である自分を誇ることをせず、それを粉々に砕く「石」に注目するべきでした。永遠の国を起こされる「天の神」にひれ伏すべきであったのです。
私たちは「終末預言」を聞くとき「巨大な像」に恐れを持ち注目します。しかし、本当に注目すべきは、それを砕く「人手によらず切り出された石」です。
巨大な像である「この世」を見た時、あなたの心のうちには何が浮かぶでしょうか?
恐れですか?
それとも、輝きに魅力を感じますか?
私たちは、この世を恐れる必要はありません。私たちのうちにいる方は、この世のあの者より強いことを覚えてください。もし、この世の「異常な輝き」に魅惑されるなら、私たちは「神の友」ではありません。
私たちは「人手によらず切り出された石」である方を見ます。
私たちのために、この地に来てくださった方を覚えます。十字架でいのちを投げ出すために来られたのです。
そして、再び、この地に来られる方を見上げます。主は、統べ治めるために来られるのです。
最も大切なことは、主が「統べ治める」ために、再びこの地に来られる前に、私自身を「統べ治めて」いただくことです。
なぜ、ダニエル書を学ぶのか
ダニエル書を学ぶのは「終末に起こることを知るため」です。しかし、正直なところ、ダニエル書を学んでも「すべて」は分からないのです。それでも、私がしつこくダニエル書を学ぶのは「特別に愛されている人」を知りたいからです。
御使いは、何度もダニエルのこと「特別に愛されている人」と呼んでいます。それは、もちろん「神に特別に愛されている人」という意味です。
「秘密が明らかにされること」は素晴らしいことです。しかし、いつも言うように、私たちは「物」と「事」ではなく「方」に目を向けなければなりません。
「秘密をを明らかにするひとりの神」を求めましょう。この方をほめたたえましょう。
私たちには「すべて」は分かりません。しかし「秘密を明らかにする方」がおられます。私たちは、ダニエルのように「この方」を知ることを求めましょう。
ダニエルのように神を知ることができれば、「特別に愛されている者」となれるかもしれないと、私はひそかに思っているのです。
もちろん、私たちは、主イエスがいのちを与えてくださるほどに「特別」な者です。私たちは愛されています。それは変わることはありません。
「特別に愛されている人ダニエル」は、それとは、また違うことです。いえ、それ以上のことです。
つまりダニエルは「主の御心のすぐそばに常におらせられる人」なのです。
ダニエルは「特別に愛されている人」であったので「神のみこころ」「神の秘密」を知らせていただけたのです。
ダニエルは「神の親友」なのです。私も、神様の「友」を越えて「親友」になりたいのです。
ゆえに、飽きることなくダニエル書をしつこく学んでいるわけです。そして、あなたとも一緒に学びたいと願っているのです。
この預言は基礎になります
ネブカドネツァル王の夢は、これからダニエル書を学ぶときのベースとなります。
登場した国の順番を覚えていてください。それが、あとで「牛」やら「山羊」やらが出てきたときにパニックにならない秘訣です(笑)
また、同時に覚えておかなければなりません。この地の王たち、巨大な像を支配しているのは誰であるのかを。
イエス様こそ「地の王たちの支配者」です。
地の王たちが、どれだけ横暴であろうとも、反キリストが、どれだけ暴れまわったとしても、御座に着いておられる方は笑われます。
イエス様は力を持って治められます。
最終的に「この世の王たち」が粉々に砕かれるのは明らかです。
私たちは、ただ「主よ、とくきたりて世界を治めたまえ」と叫ぶのみです。
私たちも言いましょう。
「主イエスよ、来てください」
主の恵みがありますように。祝福を祈ります。