ダニエル11:2a
今、私はあなたに真理を告げる。
天では常に戦いが繰り広げられています
ダニエル10章において、私たちは「天に戦い」があることを知ります。
ダニエルのところに「真理の書に記されていることを告げる」ために御使いは来ました。
そして、その「真理の書」に記されていることを告げたなら、再び、戦いのために戻って行くのです。
「ダレイオスの元年」とは、ダニエルが「70週の預言」を啓示された年です。
「その彼を強くし」の「彼」が誰のことを指しているのかは定かではありません。新改訳の文脈からすると「ミカエル」のことかと思えますね。「ダレイオス」を力づけたのだとする解釈もあります。
どちらにしても、天では常に戦いが繰り広げられているようです。
御使いは、みな、フワフワと飛び回って、楽しそうに賛美しているようなイメージですが、実際のところ、見えないところで、サタンの手下と対峙している御使いも存在するのです。
終りの日まで戦いはなくなりません。私たちも、あきらめずに祈り続ける必要があります。
私たちの戦いは血肉によるのではないことを覚えます。
また、私たちは、自分が思っている以上に「大きな戦い」の一員であることも、同時に覚えます。
私たちは、みな「何のために生きているのか」と言うことはできません。
「私は何の役にも立たない」と嘆くこともできません。
あなたの祈りには、実際に力があります。
私たちは、主にあって「要塞を打ち倒す力」が与えられているのです。
私たちは、自分の祈りを「小さなもの」だと思います。確かに、私の祈りは「小さなもの」かもしれません。
しかし、私たちが見上げるのは「大きな方」です。私たちの祈りは、主にあって「大きな力」を解き放つものとされるのです。
私たちの神は、歴史のすべてを支配しておられる大いなる神です。
御使いはダニエルに「真理の書」に記されていることを知らせようと言いました。
私たちは、ダニエル11章を通して「真理の書」に記されていることを垣間見ます。
「真理の書」には、地上の歴史が細かく記されているようです。私たちは、その一端を知ることを許されました。
ダニエル11章2節~35節までは、すでに成就しました。つまり歴史の教科書に載っているような出来事です。
それが、あまりにも詳細に記されているので、ある人々は「ダニエル書を記したのはダニエルではなく、もっと後の時代の誰かだ」と言うのです。
ダニエル11章36節以降は、まだ成就していません。これ以降は、おそらく終わりの時に成就するのだと思います。
今回は、すでに成就した部分について学びます。ダニエル11章1節~16節までです。
詳細な歴史を見る前に
まず、ダニエルの時代から「ペルシャ帝国」が続いていきます。この後、つまりキュロス王の後ですが「三人の王」がペルシャに現れます。彼らについての詳細は語られません。イスラエルにとって、それほど重要ではないということでしょう。
第四の王とは「クセルクセス王」のことだと思われます。以前の新改訳では「アハシュエロス王」と記されていました。エステル記に出てくる王様のことです。
彼は、ペルシャ帝国の王の中で最も富んだ王でした。
クセルクセスの後にも、ペルシャには数人の王が起こりますが、ギリシャのアレクサンドロス大王を「奮い立たせた」のはクセルクセスであると言われています。つまり、アレクサンドロスを「激怒」させたということです。
さて、この箇所は、今までの預言の復習ですね。
一人の勇敢な王とは「ギリシャのアレクサンドロス大王」のことです。
ダニエル8章に出て来た「雄やぎ」のことです。
アレクサンドロスは若くして亡くなりました。破竹の勢いで世界征服を成し遂げ「もう征服する国がない」と言って泣いたときには約32歳ぐらいでした。その後すぐ、おそらく肺炎もしくは熱病で亡くなったのです。
アレクサンドロス大王の死後、4人の部下が国を4分割して受け継ぎます。
それが「四方に向かった四本の角」と表現されている人々です。
この4人の後継者たちは、アレクサンドロス大王のような勢いを持つことはできませんでした。
ここまでは、すでに学んだことです。
さて、ここから御使いは詳細に出来事を告げていきます。あまりにも「詳細」なので、歴史が大好きという人以外は「頭が痛くなる」かもしれません。
実際に私は、最初にこの箇所を学んだときには頭痛がしました(笑)
今回、この部分は飛ばしてしまおうかと真剣に悩みましたが、ここまで詳細に記されている歴史を体感する良い機会かとも思いますので、まあ、頑張って読んでいきましょう。だいぶと簡略化するつもりではいます。
それでも、あまりにも「頭が痛く」なったなら飛ばし読みをしても構いません(笑)
「アンティオコス4世エピファネス」が出てくるあたりから真剣に読んでもらえれば重要なことは分かるでしょう。(ダニエル11:21あたりから登場します。次回の学びですね)
興味があれば「聖書時代の古代帝国」という漫画で描かれた歴史の本なども発売されていますから、一読されると理解が進むと思います。
さて、詳しく見ていく前に、少し覚えておいた方が良いことがあります。
まず、ダニエル11章5節~35節の間には、何百年という時間が経過していることを覚えていてください。
この時代のほとんどは聖書の他の個所には記されていません。所謂、中間時代と呼ばれる時代です。マラキ書からマタイの福音書の間の時代のことです。
アレクサンドロス大王の後継者は4人いましたが、そのうちの2人に焦点が当てられています。
シリアを治めた「セレウコス朝」とエジプトを治めた「プトレイマイオス朝」です。
「北の王」とは「シリアのセレウコス朝」のことです。
「南の王」とは「エジプトのプトレイマイオス朝」のことです。
彼らが繰り広げた戦いのことが詳しく記されています。
しかし、なぜ、「北の王」と「南の王」についてだけが詳細に記されているのでしょう。
それは、この二つが「イスラエル」に関係するからです。
特に「北の王」に注目しましょう。
「北の王」つまり「シリヤのセレウコス」から「アンティオコス4世・エピファネス」が登場するからです。
さて、最も大切なことは「イスラエルの位置」です。この時代、イスラエルは独立してはいません。必ず、どこかの国の属州とされています。
預言を読み進めていくにつれて、頭がこんがらがるかも知れません。しかし、「今イスラエルが属しているのは、どちらの国か」ということだけは把握しておいてください。
北の王シリヤと南の王エジプトの争い
四分割された当初の力関係が記されています。
最初は「エジプトのプトレイマイオス」が一番強かったのです。「シリヤのセレウコス」は、プトレイマイオスの部下でした。つまり「その軍の長の一人」であったのです。
しかし、セレウコスは、力を増して、エジプトへの忠誠を破棄します。北の王シリヤが強く大きくなったことだけ理解できればいいです。
シリアは領土を広げましたが、この時、イスラエルが属しているのは、北の王シリアではなく、南の王エジプトです。
さて、時は流れます。しかし、戦いは続いています。次の代でも「北の王シリヤ」と「南の王エジプト」の争いは続いています。
「南の王」は、このとき「プトレイマイオス2世・フィラデルファス」です。
「北の王」は、アンティオコス2世です。
まあ、名前など覚える必要はありません。代替わりしたのだなということが分かればいいです(笑)
南の王は、和睦するために自分の「娘」であるベルニケを「北の王アンティオコス2世」と政略結婚させます。
これが、悲劇の始まりでした。
相手方のアンティオコス2世には、すでに妻ラオデケがいたのです。エジプトの圧力に負けて、妻ラオデケと一度離婚します。
しかし、無理矢理に娘を押し付けてきた「南の王フィラデルファス」が死ぬと、すぐに元妻ラオデケと復縁します。
南の王の娘ベルニケは、復縁妻ラオデケの恨みを買って殺されてしまいます。殺された方法には諸説ありますが、まあ、結果は同じです。
南の王の娘ベルニケの周辺の人々も、みな同じ運命をたどります。彼女が産んだ息子たちも、彼女の従者たちも、彼女の味方はみな殺されたのです。
つまり「彼女は、自分の連れて来た者、自分を生んだ者、そのころ自分を力づけた者とともに引き渡される」ということです。
ちなみに、アンティオコス2世も殺されます。復縁はされても、一度離縁された恨みは晴れなかったのでしょうか。復縁妻ラオデケは、自分の息子を後継者として王にします。
さて、姉ベルニケを殺されて怒ったのが、弟(兄説もあり)のプトレイマイオス3世・ユエルゲデスです。
「彼女」とはベルニケのことですね。
エジプトでは、父フィラデルファスの死後、プトレイマイオス3世が王位に着いていました。
「南の王エジプト」がこの時、「北の王シリヤ」の軍を打ち負かすのです。そして、砦に攻め入り、ベルニケの仇である復縁妻ラオデケを打ちます。
それだけではなく、シリアの様々な財宝や偶像を略奪してエジプトに戻るのです。
「南の王エジプト」が「北の王シリヤ」と関りを持たなかった理由は、エジプトで起こった内乱のためであると言われています。
つまり「北の王シリヤ」を相手にしているヒマなどなかったと言うことです。
けれど、「北の王シリヤ」は、そのような「南の王エジプト」のお国事情を顧みることなどしません。
その後も、シリヤの王たちは報復のためにエジプトを攻めます。しかし、それは、成功しません。
「北の王」セレウコス2世カリニコスは、落馬して死んだと伝えられています。
しかし、カリニコスが死んでも、その息子たちに戦いが引き継がれてい行きます。
「セレウコス3世セレナウス」と「アンティオコス3世」です。そのようにして、「北の王シリヤ」と「南の王エジプト」の戦いは続いていきます。
イスラエルは、まだ「南の王」エジプトに属したままです。
どうでしょう?
驚くばかりではないですか?
細かいところまで鮮明に預言されています。政略結婚のことまで記されているのです。
ダニエルの時代、このことは、もちろん起こってはいませんでした。ダニエルは、ただ聞いたことを書き記しただけです。
私たちは、それが実際に起こったことを確認できる時代に生かされているのです。
戦いの続き、「北の王シリア」の勝利
南の王エジプトは、北の王シリヤの攻撃をうっとおしく思ったのです。南の王エジプトは激怒して戦いに出てきます。
この時、南の王は「プトレイマイオス4世・フィロパトール」です。
北の王は、「アンティオコス3世」です。父カリニコス亡き後、兄弟でエジプトを攻め続けていました。しかし、その兄弟セレナウスは、すでに亡くなっています。アンティオコス3世は、一人で戦いを続けていました。
「北の王」アンティオコス3世は、大軍を率いて、「南の王」プトレイマイオス4世に立ち向かいます。
大軍をつぎ込んだにも関わらず「北の王」アンティオコス3世は大敗北を喫します。領土の大部分を失います。
また、兵力のほとんどを「南の王」に奪われてしまいます。南の王プトレイマイオス4世は、「北の王」シリアの軍隊を捕虜として連れて行きました。
まさに「その大軍は敵の手に渡される」ことになったのです。
ギリシャの歴史家ポリュビオスが、南の王プトレイマイオス4世が捕虜にした内訳を記しています。
歩兵1万人
騎兵300人
捕虜4千人
象5頭
北の王シリアから、多くの領土と軍事力を奪いましたが、南の王エジプトは、最終的には勝利を得ることはできません。
南の王エジプトのプトレイマイオス4世は、この勝利で良い気持ちになりました。そして、高慢になってしまいます。
プトレイマイオス4世は、その後、軍事力を高めたり、砦を築いたり、国益になるようなことはしなかったようです。一説によると、お酒に溺れるような生活をして死んでしまったということです。
勝利に酔いしれて、酒にも酔いしれたということでしょう。高慢は、人を破滅に導きます。
「南の王・プトレイマイオス4世」は、傲慢になって放縦な生活を送り、そのために死んでしまいました。
その息子、プトレイマイオス5世が王位を継承します。若い後継者でした。
これはチャンスだと「北の王アンティオコス3世」は思ったのでしょう。
これを機会に、再び「南の王エジプト」に「大軍勢と多くの武器を持って攻めて来た」のです。
しかし、もう、うんざりしますね。この戦いは果てしなく続きます。こうまでして戦い続ける理由はいったいどこにあるのでしょう。
人類は絶えず争っているようです。
アンティオコス3世は、「アンティオコス大王」とも呼ばれます。
私たち聖徒の間では「アンティオコス」と言えば「エピファネス」でしょう(笑)
しかし、世界史において「アンティオコス」と言えば、この「3世」である「アンティオコス大王」のことです。
彼は、アレクサンドロス大王に倣って「大王」と呼ばれるのです。つまり、それだけ「領土を拡大した」ということです。
衰退していたシリアを回復させます。その領土を初期以上に広げます。
一時的にではありますが、彼は「インドの一部」までも支配していました。そして、その「インドの一部」と引き替えに「象5千頭」を手に入れたという逸話も残っています。軍事力として「象」を使ったのですね。
しかし、何のために戦って、何のために領土を広げるのでしょう。
サタンは、人に「領土欲」を与えるようです。「支配欲」をくすぐるようです。
彼らは、何かに取り憑かれたように戦いを続けます。
いかなる戦争の背後にも「サタン」がいるように私には思えます。
「北の王」生殺与奪の権を握る
「北の王アンティオコス3世」は「多くの反対する者」を味方にします。他の国マケドニアなどと協力します。
そして「あなたの民の暴徒たち」つまり、イスラエルの民の中にも協力する者がいました。
彼らは、エジプトの支配から脱出したかったのです。独立した国になりたいという「幻」を持ってました。
しかし、結果的にその「幻」は実現しませんでした。
考えれば分かります。エジプトに勝利したとしてもイスラエルが独立することはありません。
その支配権は、そのまま「北の王シリヤ」に移行されるだけです。
「あなたの民の暴徒たちも、高ぶって幻を実現させようとするが、失敗する」と記されている通りです。
さて、「北の王アンティオコス3世」はエジプトに勝利します。そして、そのままイスラエルに侵入します。
イスラエルは「北の王シリヤ」の支配下に置かれることになります。
「思いのままにふるまう」のは、もちろん「アンティオコス3世」のことです。
しかし、彼はこの時、ユダヤ人に対しては「優遇措置」を取ったと言われています。逆らいさえしなければ、ひどい扱いを受けることはありませんでした。
それは、エジプトを倒すために一緒に戦ったイスラエルの「暴徒たち」のゆえであったようです。
となると「自分の手で滅ぼし尽くそうとする」の意味が少し分からなくなりますね。
しかし、それは私たちの考えが「世的」である証拠とも言えます。
「ひどい扱いを受けない」ことは「滅ぼされない」ことではありません。
「優遇措置」を受けることは「滅びない」ことではないのです。
敵の目的は「主なる神から引き離すこと」であることを覚えていてください。
私は苦しい目に会いたいとは思いません。できれば「優遇」されたいと思います。
しかし、それが「たましい」と引き替えであるならば、どうでしょう?
私たちは「キリストの愛」から引き離されてはなりません。
「アンティオコス3世」に逆らわなければ「平安」でいられると人々は思いました。
「平安」は「アンティオコス3世」から来ると彼らは思っていたのです。
サタンが人を滅ぼす方法は、いつも「残虐な行為」なのではありません。
「自分の手で滅ぼし尽くそうとする」とは「生殺与奪の権を握る」ということです。
実際、優遇措置を取っていると言っても「生かすも殺すも、与えることも奪うことも」アンティオコス3世の思いのままであるのです。
「これを攻めてくる者は思いのままにふるまう」と記されているとおりです。
サタンは、私たちの目を主なる神から離したいのです。「いのち」を握っておられる方から引き離したいのです。
「お金がなければ生きていけない」
「仕事を失ったら生きていけない」
「あの人を怒らせるとすべてが終わる」
そのように思わせることによって支配しようとしているのです。私たちは、自分の「恐れる」ものによって支配されるのです。
私たちの「生殺与奪の権」を握っているのは何ですか。もしくは誰ですか。
あなたが「生きる」か「死ぬ」かを決めるのは、あなたではありません。また、他の人や出来事でもありません。
自分が「誰のもの」であるのかを忘れてはなりません。
たとえ、どれだけ「横暴な上司」「わがままな身内」「力ある隣人」が支配しているように思えても、あなたを握っておられるのは「主なる神」です。
決して「自分の手で滅ぼし尽くそうとする」ものに支配されてはなりません。
イエス様が、人として地上に来られたのは「死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するため」でした。
イエス様は、私たちを解放するめに来てくださったのです。
私たちは「二度と奴隷のくびき」を負わされてはなりません。
詳細な預言が語られました
主が、なぜここまで詳しく細かく啓示してくださったのかは、よくわかりません。
しかし、何らかの意味があるので語られたのです。
アンティオコス4世・エピファネスの出自を明らかにするためだけではないように思います。
私たちは、イスラエルを間に挟んで「北の王」と「南の王」が戦いを繰り広げる姿を見ます。
サタンが、執拗にイスラエルを追いかけまわしているように思えます。
この後、イスラエルは「苦難と屈辱」の時代の突入します。次回は、アンティオコス4世がイスラエルにした残虐非道な行いについて学ぶことになります。
私たちは、どんな時でも、ただ主を見上げましょう。
地上のあらゆるものの上に座しておられる方を見上げましょう。
すべてのことをご存じである方に信頼しましょう。
私たちにとっては「過ぎ去った過去」も「これから来たる未来」も、すべては「主の御手の中」にあるのです。
私たちが詳細な歴史の啓示から学べる最も大切なことは、そのことです。
私たちの「明日」は、「あなたの髪の毛さえも数えている」と言われる方の御手にあります。
ですから、御使いが言ったことを私もあなたにもう一度言います。
「特別に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」
私たちは、主の愛を信じましょう。
恐れず、安心して、強くありましょう。
祝福を祈ります。