No.178 御霊よ、舞いかけてください!

鷹が舞う

創世記1:2
地は茫漠として何もなく、闇が大水の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。

そこに聖霊様がおられました

はじめに神が天と地を創造されたとき、地は茫漠として何もなかったのです。

「茫漠として何もなく」とは、どのような状態であったのでしょうか。翻訳も様々で、なかなか意味がつかみにくい言葉です。

日本語の「茫漠」は辞書によると「どこまでも広くとりとめのないさま」「ぼんやりとしてつかみどころのないさま」という意味です。

原語では「混乱、無秩序、混沌」を表す語と、「むなしい」「空っぽ」を意味する二つの語が使用されているようです。

そこには、まだ光がなく、闇が大水の面にありました。そこに「神の霊」がおられ、その水の面を動いておられたと聖書は言います。

「動いていた」とは、あるいは「舞いかけていた」とも訳せます。私は「舞いかけていた」という訳が好きです。

その方が、なんだか楽しそうだなという感じを受けるからです。

実際、主は、創造の御業を楽しんでおられました。

箴言8:30
わたしは神の傍らで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しんでいた。

主イエスは、世界を創造される過程を楽しんでおられたと私は信じます。聖霊様は、闇の中を舞いかけておられたのだろうと思います。聖なる三位一体の神は、この天地の創造を喜んで行われたのです。

形がなく何もない地、混沌とした空っぽの地が、どんどん美しく、いのちに満ちていく様子を私たちは読むことができます。

人生が混乱してしまって、もうどうしようもないと思う時、私たちは、もう一度、主の創造の御業を思い返す必要があります。

闇の中で、御霊が「舞いかけて」おられることを忘れないでください。

主は、あなたの「混乱」「混沌」「虚しさ」「空っぽ」から「美しいいのち」を創造することがお出来になります。

それも「楽しんで」行ってくださいます。あなたのうちが「美しいもの」で満たされることを喜ばれるのです。

私たちは、辛くて、悲しい思いをしているかもしれません。しかし、主は、そのような私たちの「混乱」「混沌」から「秩序」「いのち」を生み出すことを望んでおられるのです。

「何も変わらない」と嘆く必要はありません。主は「変化」ではなく「新しく生み出す」ことがお出来になります。

「失敗した、何もかも失った」と絶望に浸ってはなりません。主は「何もない」から「すべて」を創造することがお出来になるのです。

私たちは、ただこう言えばよいのです。

「御霊よ、私の心の中を舞いかけてください。あなたが喜んで舞いかけてくださることを信じます」

私たちの素晴らしい創造主に、すべてを委ねて生きましょう。

私は御霊を切に求めます
主が何もないところからいのちを生み出されることを信じます
何もない地を美しくされた創造主を信じます