No.26 愛は多くの罪をおおう

毛布と猫

【創世記9:23】
それで、セムとヤフェテは上着を取って、自分たち二人の肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔を背け、父の裸は見なかった。

見ないように

ノアが酔っ払って裸で眠ってしまった時、ハムはそのことを外へ出て告げました。

それを聞いたセムとヤフェテの行動に注目します。

セムとヤフェテは、父親の姿を見ないように細心の注意を払いました。

ノアに対する敬いの心を感じます。愛とは敬う心です。

彼らは、自分たちの肩に上着をかけ、うしろ向きに歩いて行きました。そして、上着でノアの裸を覆ったのです。

Ⅰペテロ4:7~8
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

「万物の終わり」つまり「世の終わり」が近づいたとペテロは言います。

ペテロの時代より、今はもっと世の終わりが近づきました。

私たちは、もちろん祈りのために心を整えなければなりません。

そして、何よりもまず熱心に愛し合わねばなりません。

マタイ24:12
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。

Ⅱテモテ3:1~2
終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。

終わりの時代には、多くの人々の愛が冷めていきます。

人々は、自分だけを愛するものとなります。そして、神様より金銭を愛する者となります。

マタイ6:24
だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

終わりの時代を生きる私たちは、自分と金銭を愛する者となってはいけません。愛を冷やしてはなりません。

Ⅰコリント13:4~5
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、

愛は人の悪を心に留めません。人の失敗は見るべきものではないのです。私たちは、みな失敗します。

それを暴くことに意味はありません。悔い改めは個人的なことです。神様の光のうちに行うものです。

私は、キリストを着ます。

失敗を人に凝視されたくありません。

罪を犯してしまったことに気が付けば、主の御前に行って悔い改めます。

イエス様の血潮によってきよめられ、イエス様におおわれます。

そして、人には、キリストでおおわれた自分を見てほしいと願います。

あなたもそうではありませんか?

私たちは。自分がして欲しいことを人にもしなければなりません。

だから私は、あの人をキリストでおおいます。

そして、せっかくの「おおい」をめくって、中を覗こうとはしません。

愛は多くの罪をおおうものです。

私は愛を追い求めます。
人を育てることばや勧めや慰めを語ります。