No.122 人と比べないで、ただ従うのです

道を歩く人

ヨハネ21:21~22
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関りがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

それが、あなたに何の関りがありますか

イエス様は、ペテロが晩年どのように栄光を現すのかを示されました。そして「わたしに従いなさい」と言われました。それは、どのようなことになったとしても、ただイエス様だけに従って歩みなさいという励ましでした。

さて、そのとき、ペテロの目にヨハネが映りました。すると、おそらくペテロの好奇心がうずいたのでしょう。彼はイエス様に尋ねます。

「主よ、この人はどうなのですか」

ペテロは人のことが気になって仕方がないのです。自分はこう言われたけれど、ヨハネは何と言われるのだろうか、それが知りたくて仕方がないのです。

しかし、知ったところでどうなのでしょう?

イエス様が言われる通り「それがあなたに何の関りがあるか」です。

主は、私たち一人一人に計画をお持ちです。それは「個人的なもの」です。私たちは一人一人に賜物が与えられています。それも「個人的なもの」なのです。

瞬きの詩人と呼ばれる水野源三さんは、首から下が動かせないという障害を負いつつも、瞬きで自分の意志を伝え詩を紡ぎ出しました。ずっと、以前にTVで水野源三さんの特集がされたときの話です。

重い障害をもった水野源三さんを、病身の少年が両親とともに訪問した時の情景が、テレビで放映されたことがあった。お別れの時、水野さんに、何かこの少年に言ってあげることがあったら言ってくださいと促された。水野さんは、あの瞬きの会話で「人と比べないで」と言った。水野さんは、「自分の境遇を神からのものとして、神と自分との間で受けとめよ」と言いたかったのではないか。

「主よ 来てください」 井戸垣 彰著 いのちのことば社より

源三さんが瞬きで伝えた言葉は「人とくらべないで」でした。

人と比べることに何の意味があるでしょう。比べる必要などないのです。なぜ、人を気にしてしまうのでしょう。あの人がどうであろうと、私には何の関わりもないのです。

私はただ、主が備えてくださった道を歩めばよいのです。

それは、主が私のためだけに備えられた道です。隣の人の道が歩みやすいように見えても、それは隣の人の道です。道に対して不服があれば、それは、主と私との間で解決する問題です。

人にどう思われるのかを、なぜ、気にするのでしょう。本当に気にするべきは「主がどう思われているか」です。

ヨハネを気にするペテロにイエス様は言われました。

ヨハネ21:22
イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関りがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

つまり「わたしがヨハネに何を望むかは、おまえには関係のないことだ」ということです。

ペテロはただ「従えばよい」のです。

イエス様の道を行きましょう。誰のためでもない、ただ、私のための道を行くのです。

「人とくらべないで」

そんな必要はないからです。

「あなたは、わたしに従いなさい」

私たちは「はい」と言って従うだけです。

私は主に従います。
人と比べることはしません。
私のために備えられた道を行きます。