No.236 宮きよめが必要です

掃除する子ども

マタイ21:13
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」

追い出される者がいます

マタイ21:12
それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。

イエス様は、激しいお方です。主の宮に入られたとき、そこで「売り買い」している人々を「みな追い出し」と書いてあります。

売る者も買う者も、両方が追い出されたのです。

その理由は、彼らが「祈りの家」を「強盗の巣」にしていたからです。

けれど、追い出されない人々もいました。

マタイ21:14
また、宮の中で、目の見えない人たちや足の不自由な人たちがみもとに来たので、イエスは彼らを癒された。

目の見えない人たちや、足の不自由な人たちは追い出されませんでした。彼らは、むしろ「癒された」のです。

マタイ21:15
ところが祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさったいろいろな驚くべきことを見て、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを見て腹を立て、

宮の中で子どもたちは「ダビデの子にホサナ」と叫んでいました。

祭司長や律法学者のような偉い人たちは「腹を立て」ましたが、イエス様は「幼子たちの口を通して誉れを打ち立てられる」と言われました。

つまり「賛美を叫ぶ子どもたち」は追い出されなかったということです。

追い出されるのは誰でしょう?

それは「強盗たち」です。神の宮で「商売」をする人です。神の宮で「損」か「得」かを考えている人たちです。

箴言30:15a
蛭には二人の娘がいて「くれ、くれ」と言う。

常に「何がもらえるのか?」「何か得なことはないか?」と考える心は「蛭の娘のくれろ、くれろ」と同じです。

神の宮で、受け入れられるのは誰でしょう?

それは「目の見えない人」「足の不自由な人」です。自分には「欠けていることがある」と自覚している人たちです。イエス様のもとに集う人たちです。イエス様を求める人々は癒されます。

また「賛美を叫ぶ子どもたち」は追い出されません。

「賛美を叫ぶ神の子ども」として礼拝に集うなら、私たちは追い出されません。そこに本当の幼子が一緒に賛美をしていれば、なおさら良いですね。

賢く、正しく、立派であるより、むしろ、大声で子どものように「ダビデの子にホサナ」と叫ぶ者になりたいと願います。

蛭の娘は追い出して、純粋にイエス様だけを求めて「祈りの家」に集いましょう。

私は「神の宮」です
私のうちには聖霊が宿られます
神の子どもにふさわしく賛美を叫びます