No.28「しかし」自分の神、主によって

夕日と鳥

【Ⅰサムエル30:6】
ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。

ダビデたちは、すべてを失ってしまいました

一面が焼け野原でした。家族は一人残らずアマレク人に連れ去られていました。

Ⅰサムエル30:3~4
ダビデとその部下が町に着いたとき、なんと町は火で焼かれていて、彼らの妻も息子も娘も連れ去られていた。ダビデも、彼と一緒にいた兵たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。

泣いて泣いて泣く力もなくなりました。絶望しかないと彼らは思ったでしょう。

(どうしてこんなことになったのか、そして結果がどうなったのかは第一サムエル27章から30章を読んでください。)

こんなことになったのは、すべてダビデのせいだと人々は思いました。そしてダビデ自身もすべて自分のせいだと思っていたでしょう。

自分のせいでとんでもない事になった。何もかも失ってしまった。築いてきた信頼も失ってしまった。

どん底とは、まさに、この時のダビデのことです。彼は落ちるところまで落ちたように見えます。しかし、ダビデは奮い立ったのです。

信仰とは、「しかし」であると私は思います。

もうダメだ。「しかし」
希望はない。「しかし」
すべてを失った。「しかし」

イスラエルの地から離れ、ペリシテ人の仲間かのように歩んでいたダビデ。目の前に絶望を突きつけられて、ダビデは目覚めたのです。主にある人の本当の強さをここに見ます。

「しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った」

主を自分の神とする人は立ち上がれます。ダビデは、奮い立ちすぐに主に伺いを立てます。

Ⅰサムエル30:7~8
ダビデは、アヒメレクの子、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」エブヤタルは、エポデをダビデのところに持ってきた。ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」

主に聞き従うダビデが戻ってきました。主はすぐさま彼に答えられます。「追いつける。必ず救い出すことができる」と言われました。

もうダメだと思うことはあります。絶望しかないと思うこともあります。もう遅い、私は自分のせいですべてを無駄にしてしまったと思うことも。

それでも、私は「しかし」と言って立ち上がります。

「しかし」私ではなくキリストが生きていると言います。

Ⅰサムエル30:19
子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。

ダビデはすべてを取り戻しました。奪われたものをすべて取り戻したのです。

遅すぎるということはないと信じます。私が奮い立ったその日、主が必ず答えてくださると信じます。

ヨエル2:25~26
いなごあるいはバッタ、その若虫、噛みいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々に対して、わたしはあなたがたに償う。あなたがたは食べて満ち足り、あなたがたの神、主の名をほめたたえる。主があなたがたに不思議なことをするのだ。わたしの民は永遠に恥を見ることがない。

私は、私の神、主によって奮い立ちます。
主は、必ず、私に応えてくださいます。
私は、主が不思議なことをなさると信じます。