ヤコブ5:8
あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。
耐え忍びなさいと言われます
ここで「耐え忍ぶ」と訳されている語は「期待して待つ」「心を広く持つ」「寛容である」とも訳せます。
「忍耐」とは、また別の言葉なのです。
私たちは「耐え忍びなさい」と命じられています。
それはつまり「期待して待て」「心を広くせよ」という意味なのです。
農夫は「大地の貴重な実りを耐え忍んで待って」います。
そのように、私たちも「主が来られる時まで耐え忍びなさい」と言われるのです。
あなたは「耐え忍んでいる」でしょうか。つまり「期待して待っている」でしょうか。
農夫は必ず「貴重な実りを得る」と信じて待っています。そこには「希望」があります。
あなたは「耐え忍んでいる」でしょうか。つまり「心を広くしている」でしょうか。
「待ち方」というものがあるのです。主は、あなたに「イライラ」しながら待ってもらいたくないのです。
歯を食いしばり、大地を睨みつけていても作物は育ちません。
そこには「雨」が必要なのです。
しかし、私たちは「雨」を自在に降らせるようなことはできません。私の思う時に、思う量の雨が降ることはないでしょう。私たちの希望はすべて、雨を降らせてくださる方にかかっているのです。そう考えると、とても安心することができますね。
もちろん、時々、自分の人生をマジマジと見つめてしまい、その実りのなさに愕然とすることがあります。「自分はいったい何をして生きて来たのだろうか」と悲しくなります。
しかし、焦ってはなりません。嘆き続けていてはなりません。
主は、まだ来られていないのです。私たちは「主が来られる時まで耐え忍ぶ」のです。
私たちは「耐え忍び」ましょう。
期待を失わず、希望を持ち続けましょう。主は、必ず来られます。そして、主が再臨される前には「聖霊の大雨」が必ず降ります。「後の雨」はこれから降るのです。
心を広く持ちましょう。狭い心になってはなりません。荒れた土地を見て途方に暮れてはなりません。砂漠に水を撒いているように感じたとしても、それでも笑いながら撒き続けましょう。時には虹も見えるでしょう。
何よりも、主ご自身が「収穫を望んでおられる」ことを覚えてください。
御父は農夫です。御父もともに「耐え忍んで」おられます。
ですから、私たちは天を仰いで「耐え忍び」ましょう。
期待を持ち、心を広くし、心を強くし、ただ主ご自身を待ち望みましょう。
私は、主を待ちます
主は、私の望みです
私は心を広くします

