2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

NO.550 平和は、主を知ることによってもたらされます

子犬かわいい

イザヤ11:9
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、地をおおう水のように地に満ちるからである。

千年王国においては…

千年王国においては、この地に「平和」が満ちています。

何も「害を加えず」「滅ぼさない」のです。

イザヤ11:8
乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。

このようなことが、今起こったとしたら大惨事でしょう。

しかし、千年王国においては「大丈夫」なのです。

それは、なぜでしょう?

コブラに毒がなくなったからでしょうか?

マムシが狂暴でなくなったからでしょうか?

確実に「狂暴性」はなくしているとは思います。もしかしたら「毒性」もないのかもしれません。しかし、それは、最も大きな理由ではありません。

最も大きな理由は「主を知ることが満ちたから」です。

イザヤ11:9
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、地をおおう水のように地に満ちるからである。

これらの猛獣、毒のあるものなどすべては「害を加えず」「滅ぼさない」と記されています。

なぜなら「主を知ることが、地をおおう水のように地に満ちるから」です。

これが千年王国の描写であることは分かっています。

しかし、千年王国であろうと、今の時代であろうと「平和の秘訣」が変わることはありません。

なぜ、教会で「害を加え」「滅ぼす」ことが起こるのでしょう。

なぜ、家庭において「害を加え」「滅ぼす」ようなことが行われるのでしょう。

私たちは、教会に平和を望みます。愛が溢れる家庭を求めています。

しかし、実際、私たちは、傷ついてしまっています。みなが傷を負っているようです。

平和を求めているのに、なぜ、このようなことになってしまうのでしょう?

それは「主を知ることが満ちていないから」なのです。

「主を知ることが、地をおおう水のように地に満ちるからである」とイザヤは言っています。

主を知るとは「主の知識を得る」ということです。つまり「主ご自身」について「知る」ことです。

体験、経験は確かに大切です。主を「感じること」は素晴らしいことです。

しかし、主を「知る」とは、もっと基本的なことなのです。

あなたは、まず聖書に記されている「主なる神」を「知る」必要があります。

「こんな感じ」ではなく、はっきりと「何と記されているのか」を知らねばなりません。そして、その上で「信じる」のです。

まずは、私の心が「主を知ること」で満ちますように。心に満ちていることを口が話すのです。私は、主のことばを心から語りたいのです。

あなたの心が「主を知ること」で満ちますように。

私たちが、主への知識に満ちるなら「害を加える」ことも「滅ぼすこと」もなくなると私は信じているのです。

主よ、みことばを感謝します
主について知ることができる聖書を感謝します
みことばを教えてください