ローマ5:11
それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。
私の自慢は「神ご自身」です
向後昇太郎牧師は、ヨブ記のメッセージで有名な先生です。その著作の中で、終戦直後、何もかも失ったときの証しをしておられます。
弾圧迫害の中にも、純福音の信仰に生かされ、主にある兄弟姉妹たちの祈りと愛に励まされて、聖日を守り続けてきたが、ついには爆弾を受けて教会堂を焼かれてしまった。信徒は離散して、やむを得ず妻子の疎開先に行き、再起を待ちながら訪問伝道を続けている身であった。定まった住居もなく、蓄えらしいものもなく、まるでないないづくしのような生活であり、明ければ正月だというのに、餅一切れもない。いささか、心が暗くなる思いがする。まず家内が祈りだした。
「天のお父様。何はともあれ、親子五人が一人も欠けることなく、今日まで守られたことを感謝します。今は教会堂もなく、定まった住居もなく、家財道具もなく、お金もありません。」
そこまで祈る家内の祈りに、私は夫として、また父としての責任と無力さを覚え、いたたまれない思いがして、アーメンと和することもできなかった。
ところが、続いて彼女は祈った。
「何もありませんが、天のお父様、あなたがいらっしゃいますから感謝です。」と一段と力を込めて祈った。その時、私の心に、ローマ人への手紙五章十一節、「われらの主イエス・キリストによりて神を喜ぶなり」というみことばが与えられた。思わず「アーメン、アーメン」と叫んで共に感謝をもって祈り、心は新しい希望であふれた。
主は与え主は取られる 向後昇太郎著 いのちのことば社
パウロは「私たちは神を喜んでいます」と言っています。
「喜んでいます」とは「誇りとする」もしくは「自慢する」と訳すこともできます。
何もかも「ないないづくし」であったとしても、「天の父」がおられることが「喜び」であり「自慢」なのです。
あなたの失ったものは何でしょう。
あなたは、何を不安に感じているのでしょう。
「私には何もない。すべて失った。これからどうすればいいのか分からない」
そのように感じているのなら、今、目をあげて辺りを見回しなさい。
何もかもなくなった、そのところに「ただ一人」立っておられる方が見えるでしょうか。
「あれもない」「これもない」と数えた先に「神」を見出すことのできる人は幸いです。
「何もかも失った。けれど、私には自慢できる方がいる」と喜べる人は幸いです。
あなたの「喜び」は、決して失われることはありません。
「神」を喜びましょう。「神」を誇りましょう。主もまた、あなたをご自身の「喜び」としてくださいます。
そして、言われるでしょう。
「わたしの自慢の息子よ。わたしの自慢の娘よ。わたしの喜び、冠よ」と。
あなたは「神を喜ぶ」ことができるのです。
主は、私の喜び、私の自慢です
私の喜び、誇りは失われることがありません
御父よ、あなたがおられるから感謝します

