詩篇95:6~7
来たれ、ひれ伏し、膝をかがめよう。私たちを造られた方 主の御前にひざまずこう。まことに 主は私たちの神。私たちは その牧場の民 御手の羊。今日 もし 御声を聞くなら
今日 もし 御声を聞くならと言われます
ひれ伏し、ひざをかがめることは礼拝の姿勢です.
身体を用いて、本当にひざまずき、ひれ伏す姿勢をとることも良いことであると思います。
けれど、最も必要なことは「心の姿勢」です。
私たちの心は、ひれ伏しているでしょうか。
私たちの心は、ひざまずいているでしょうか。
私たちは主を喜び楽しみます。
私たちは、御前に感謝を持っていきます。
賛美をもって、喜び叫びます。
私たちはダビデのように、主の御前で大いに喜んで跳ね回りましょう。
感謝と賛美は、主の門をくぐるときに携えていく必要のあるものです。
私たちは、感謝しつつ、賛美しつつ、主の御前に出るのです。
主は、私たちの賛美に住まわってくださいます。
主は、私たちの賛美のうちに、その聖なるご臨在を現わしてくださいます。賛美のうちに主は御座を設けられます。
賛美のうちに主が臨んでくださったなら、私たちはひれ伏し、ひざをかかがめます。
つまり、礼拝をささげるのです。
「今日 もし御声を聞くなら」
ひれ伏し、ひざをかかがめ、礼拝をささげるなら「今日 御声を聞かせてくださる」かもしれません。
私たちは「主の御手の羊」です。
「羊」は「羊飼い」の声を知っています。
主の御手の中で、へりくだり御声に耳を澄ませましょう。
主は、礼拝をささげる人にご自身を現わしてくださいます。
そして、「もし御声を聞くなら」の続きの御言葉を心に留めましょう。
賛美のうちに主がご臨在を現わしてくださったなら、ひれ伏して礼拝するのです。
そして、礼拝の中で、主がお語りくださったら「心を頑なに」してはいけません。
私は御前にひれ伏します。
主がここにおられることを信じます。
私は主を礼拝します。
主のご臨在こそ私の喜びです。