No.80 ひざまずき、ひれ伏すとき、主が語られます。

日向ぼっこ羊

詩篇95:6~7
来たれ、ひれ伏し、膝をかがめよう。私たちを造られた方 主の御前にひざまずこう。まことに 主は私たちの神。私たちは その牧場の民 御手の羊。今日 もし 御声を聞くなら

今日 もし 御声を聞くならと言われます

ひれ伏し、ひざをかがめることは礼拝の姿勢です.

身体を用いて、本当にひざまずき、ひれ伏す姿勢をとることも良いことであると思います。

けれど、最も必要なことは「心の姿勢」です。

私たちの心は、ひれ伏しているでしょうか。

私たちの心は、ひざまずいているでしょうか。

私たちは主を喜び楽しみます。

詩篇95:2
感謝を持って 御前に進み 賛美をもって 主に喜び叫ぼう

私たちは、御前に感謝を持っていきます。

賛美をもって、喜び叫びます。

Ⅱサムエル6:14
ダビデは、主の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポでをまとっていた。

私たちはダビデのように、主の御前で大いに喜んで跳ね回りましょう。

感謝と賛美は、主の門をくぐるときに携えていく必要のあるものです。

私たちは、感謝しつつ、賛美しつつ、主の御前に出るのです。

詩篇100:4
感謝しつつ 主の門に 賛美しつつ その大庭に入れ。

主は、私たちの賛美に住まわってくださいます。

詩篇20:3
けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。(新改訳 第3版)

主は、私たちの賛美のうちに、その聖なるご臨在を現わしてくださいます。賛美のうちに主は御座を設けられます。

賛美のうちに主が臨んでくださったなら、私たちはひれ伏し、ひざをかかがめます。

つまり、礼拝をささげるのです。

詩篇95:6~7
来たれ、ひれ伏し、膝をかがめよう。私たちを造られた方 主の御前にひざまずこう。まことに 主は私たちの神。私たちは その牧場の民 御手の羊。今日 もし 御声を聞くなら

「今日 もし御声を聞くなら」

ひれ伏し、ひざをかかがめ、礼拝をささげるなら「今日 御声を聞かせてくださる」かもしれません。

私たちは「主の御手の羊」です。

「羊」は「羊飼い」の声を知っています。

主の御手の中で、へりくだり御声に耳を澄ませましょう。

主は、礼拝をささげる人にご自身を現わしてくださいます。

そして、「もし御声を聞くなら」の続きの御言葉を心に留めましょう。

詩篇95:8
あなたがたの心を頑なにしてはならない。メリバでのように 荒野のマサでの日のように。

出エジプト17:7
それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名付けた。それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。

賛美のうちに主がご臨在を現わしてくださったなら、ひれ伏して礼拝するのです。

そして、礼拝の中で、主がお語りくださったら「心を頑なに」してはいけません。

私は御前にひれ伏します。
主がここにおられることを信じます。

私は主を礼拝します。
主のご臨在こそ私の喜びです。