No.156 麦と毒麦は両方とも育ちます

自転車と畑

マタイ13:30
だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。

畑の毒麦のたとえを説明してくださいと弟子たちは言いました

マタイ13:37~39
イエスは答えられた。「良い種を蒔く人は人の子です。畑は世界で、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたちです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりもそのようになります。

これは「世の終わり」についてのたとえ話です。

「世の終わり」まで「麦」と「毒麦」は一緒に成長するのです。

世の中の「悪いもの」は消え去ることはありません。悲しいことだけれど、おそらく教会の中にも「麦」と「毒麦」は混在するでしょう。

マタイ13:27
それで、しもべたちが主人のところに来て言った。「ご主人様、畑には良い麦を蒔かれたのではなかったのでしょうか。どうして毒麦が生えたのでしょう。」

世の終わりが近づくにつれ「どうして毒麦が生えたのでしょう」と嘆くような出来事が多々起こるでしょう。「どうして」とは直訳すると「どこから」です。

それは、敵がやったことです。サタンは、あわよくば「麦」を「毒麦」と一緒に「抜き取って」しまおうと思っているのです。

マタイ13:30
だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にし、麦のほうは集めて私の倉に納めなさい、と言おう。

「刈る者」は御使いです。毒麦を集めるのは、私たちの仕事ではありません。

私たちは「毒麦と麦を一緒に」抜いてしまうかもしれないので手を出してはならないのです。つまり、それは見分けることが難しいということです。また、見分けられたとしても上手く抜くのは難しいのです。

ただ両方とも育つままにしておくのです。選別は、主から遣わされた御使いが間違いなく行います。

私たちは「どうして」と慌てふためく必要はありません。「どこから」と毒麦を特定する必要もありません。

明らかにされた場合は、主が対処の仕方を教えてくださいます。それ以外は「誰が毒麦か?」と追及する必要はないと私は思います。

ただ覚えていなければなりません。

敵は今も種を蒔き続けていて、終わりの日まで「両方とも」育つのだということを。

コロサイ4:2
たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。

目を覚まして、たゆみなく祈ります
悪を見ても驚きません
善をもって打ち勝ちます