Ⅱテモテ3:16~17
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。
それは神の息吹です
聖書は「すべて神の霊感」によるものです。
「神の霊感」を直訳すると「神の息吹による」となります。
神の息吹は、私たちにいのちをもたらします。
神のいのちの息によって、人は生きるものとなりました。
神の息が吹き入れられると、干からびた骨が生き返ります。
Ⅱテモテ3:16の「神の霊感」をギリシャ語の辞典で調べてみるとこう書いてありました。
聖書の言葉は、神の息を吹きこまれている言葉であって、その故に現に、その中から神の霊(息)がいぶいている言葉であり、読む人の霊に力強く働いて、神の霊(息)のエフェクトを及ぼさないではおかぬ生きた本である、ということがこの一句の意図である。
新約聖書ギリシャ語小辞典より
聖書は、「神の息吹」によって生きているのです。
聖書の言葉は、どこをとっても神のいのちにあふれています。
神のことばは、信じる私たちのうちに働きます。
私たちは、聖書を事実そのとおり「神のことば」として信じます。
私たちは、聖書を信じて読むとき期待していいのです。
神のことばは、信じる私たちに影響を与えます。効果を現します。
神の息吹は人を生きるものとし、干からびた骨を生き返らせます。
聖書は、私たちを、教え、訓練し、充分に整えられたものとします。
聖書は「すべて」神の霊感によるのです。
私たちは、聖書を神のことばであると信じます。
神のことばは、信じる私のうちに「いのち」をもたらすと信じます。
私は、聖書がすべて神の霊感によるものと信じます。
神のことばは、信じる私のうちに今も働いています。