No.97 理解を越えた大いなる方を信じています

飛ぶ犬

黙示録1:16
また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い諸刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

これは想像しにくいお姿です

私たちは「イエス様」を信じていると告白します。しかし、自分のイメージとかけ離れた「イエス様」は受け入れることができません。

そのような「信じる」は、本当に「信仰」なのでしょうか?

黙示録1:14
頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。

黙示録1:16
また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い諸刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

ヨハネがパトモス島でお会いしたイエス様の姿を想像してみてください。

白い頭髪に燃える目、口から両刃の剣…

もし、今、主がこのような姿で現れたら、私は卒倒してしまうと思います。

私たちは、子羊イエスを信じています。そして、サマリヤの女を井戸で待っておられる静かな方を慕っています。

しかし、私たちの主は、それと同時に「口から鋭い両刃の剣が出ていて顔は強く照り輝く太陽のような」方なのです。

主は「子羊」ですが「獅子」でもあられます。「柔和で穏やか」ですが「厳しく激しい」方です。

私のなかにある「イメージ」を信じることは「本当の信仰」ではありません。

「神は愛なのだから良いことしかなさらない」と信じることはかまいませんが、「良いこと」とは何でしょう?

あなたの思う「良いこと」を神様がなさらないとしたら、あなたは「信じること」をやめますか?

イエス様は「両刃の剣」を口から出しておられます。神のことばは「両刃の剣」なのです。

「神は愛」です。

それは、決して変わりません。しかし、あなたがイメージしている愛ではないかもしれません。

「神が愛なら、なぜ?」と多くの人は言います。そう思ってしまう気持ちも分かります。自分の願っているような「愛」が見えないときには不安になります。

しかし、それでも「神は愛」なのです。

静かに井戸で待っておられるイエス様も、燃える目をして剣とともに現れた方も、どちらも「主」であることに変わりはありません。

子羊のように来られても、獅子のように吠えられても、どちらも私の慕わしい方です。

ささやくように語られる御声も、大水のとどろきのような御声も、あの方の声に変わりはありません。

イメージを信じるのはやめましょう。神様を型にはめるような信仰は「本当の信仰」ではありません。人が理解できるような「神」は「まことの神」ではありません。

御言葉が示す「神である主」をそのまま信じましょう。

私たちの信じる方は、私たちの理解を、思いをはるかに超えた偉大な方です。

私たちが自分の考えを捨てて、「神である主」をそのまま信じるなら、主は私たちの理解を越えた大いなることを告げてくださると信じます。

エレミヤ33:2~3
地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたの知らない理解を越えた大いなることを、あなたに告げよう。」

私は、御言葉に示された主を信じます。
私のイメージ、思いを砕きます。
理解を越えた大いなる方を啓示してください。