No.84 主の麗しさを見つめよ

美しい

【詩篇27:4】
一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住まうことを。主の麗しさに目を注ぎ その宮で思いを巡らすために。

ダビデが見つめたのは主の麗しさです

ダビデは、主の麗しさに目を注ぎました。

この「麗しい」という日本語は、神様を表現するのにとてもふさわしい日本語であると思います。

麗しいとは「美しい」「愛しい」とも表現できます。

事物に乱れたところなく立派であること、壮麗である、見事である、整っていて美しい、礼儀正しい、理想的である、性質が曲がっていない、気分が晴れやかである

広辞苑第7版より

ダビデは、主に「ただ一つのこと」を願いました。

それは「主よ、全能の御力を見せてください」という願いではありませんでした。「もっと新しい事を」でもなく「もっと知識を」でもありませんでした。

もちろん、ダビデも、主が敵に立ち向かってくださり、自分を救ってくださるように祈ることはあります。しかし、それは本来のダビデの願い、ただ一つの願いではありません。

彼の心の求めることは「主の家に住まうこと」でした。

主が、自分の願いを「一つ」聞いてくださるなら、ダビデは「主の家に住みたい」と願ったのです。

それは「主の麗しさに目を注ぎ、思い巡らして生きるため」です。つまりダビデは「主の麗しさ」を見たいと求めたのです。

ダビデは、多くの詩篇を書いています。私たちは、彼の書いた詩篇によって「主の麗しさ」を垣間見ます。

しかし、この人は、一体どのようにして、このような多くの素晴らしい詩篇を書くことができたのでしょう。

それは、ダビデの求めた「一つのこと」に鍵があると思います。

ダビデの人生には「安定」していた時期があまりありません。王になる前は、サウルに追われ、王になった後は、周囲の国々との戦いがあり、息子たちには反逆されます。

それでもダビデは詩篇を書きました。おそらく、どのような状況であっても、そこに「主の麗しさ」を見出すことができたのでしょう。

私たちも「一つのこと」を求めましょう。

自分の周りには「主の麗しさ」など見つけられないと言わないでください。

ダビデは逃亡中でも詩篇を書いたのです。嘆きの中でも、失意の中でも、主は麗しくあられます。

今日、あなたが「主の麗しさ」に目を注げますように。主の美しさを見ることができますように。主が愛しい方であることを感じることができますように。

それは、友人から来る優しさに見られるかもしれません。道端に咲く可愛らしい花によって知るかもしれません。幼子たちの仕草から見出すこともあるでしょう。主の造られた物の中に見出すことは大いにあると思います。

それは、また「みことば」によって与えられるかもしれません。兄姉が語る「イエスの証」かもしれません。そして、もしかすると、主のあわれみによるご自身の「臨在」であるかもしれません。

「主の麗しさ」を見れば見るほど、あなたは主をますます愛するようになります。

ただそれを探し回るのではなく、主に求めてください。すべてのことは、主を愛する思いでさえ、主から与えられるものなのです。

詩篇27:4
一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住まうことを。主の麗しさに目を注ぎ その宮で思いを巡らすために。

毎日、「主の麗しさ」に目を注いで生きていれば、あなたの生き方は完全に変えられるでしょう。「主の麗しさ」に目を注ぎつつ歩むなら、あなた自身から「主の麗しさ」が溢れるようになります。

私は一つのことを願います。
主の麗しさを現わしてください。
主をの麗しさに目を注ぎます。