No.466 あなたの恵みで満ち足らせてください。その①

幸せな赤ちゃん

詩篇90:14
朝ごとに あなたの恵みで私たちを満ち足らせてください。私たちのすべての日に喜びうたい 楽しむことができるように。

あなたは喜ぶことができます

私たちは「毎日」を喜び歌いながら生きることができるのです。

私たちは「日々」楽しみながら生きることができるのです。

あなたは「喜んで」いますか?

あなたは「楽しんで」生きていますか?

あなたから「喜び」を奪うものは何でしょう?

あなたが「楽しむ」ことを妨害するものは何ですか?

イザヤ61:3
シオンの嘆き悲しむ者を慰めるために、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの衣の代わりに賛美の外套を着けさせるために。

イエス様が、この地に来てくださったのは、私たちが「嘆き悲しみ」に満ちて歩むのをやめさせるためです。

主は「恵みの年」を告げ知らせてくださいました。「復讐の日」はまだ来ていません。

「今は恵みの時、今は救いの日」なのです。

愛する兄弟姉妹。

私たちは「喜び」ましょう。「楽しみ」ましょう。

「憂いの衣」は脱ぎなさい。主は「喜びの泉」を開いてくださいました。

私たちは「賛美の外套」を着るのです。

しかし、あなたは言うかもしれません。

「そんな気分には到底なれない。今は、不安が大きすぎてつぶれてしまいそうだ」と。

確かに、人生において「喜び」を奪い「楽しみ」を妨害するものはあります。

「もう二度と、喜ぶことなどできないだろう」と感じるほど、圧迫される日もあるでしょう。

確かに、そんな日はあるのです。しかし、それゆえ、私たちは祈るのです。

詩篇90:14
朝ごとに あなたの恵みで私たちを満ち足らせてください。私たちのすべての日に喜び歌い 楽しむことができるように。

「恵みで満ち足らせてください」とモーセは祈りました。

なぜなら、「喜び歌い楽しむ」ためには「恵み」が必要だからです。

あなたは今は「喜びます」と宣言することはできないかもしれません。

けれど「恵みに満ち足らせてください」と求めることはできるでしょう。どうか「恵み」を求めてください。

主は、あなたに惜しみなく「恵み」を注いでくださいます。そして、主の「恵み」こそ「喜びの源」なのです。

詩篇90:15
どうか喜ばせてください。私たちが 苦しめられた日々と わざわいにあった年月に応じて。

あなたが「苦しめられた日々」を、主はご存知です。

あなたが「わざわいにあった年月」を、主は忘れてはおられません。

主は、必ず「喜ばせて」くださいます。

私たちは「恵みに満ち足りる」ことを求めましょう。

主の「恵み」に満ちあふれることを求めましょう。

そすれば、あなたの「内側」から「喜び」があふれます。それは「状況」に関わらない喜びです。

それは「内側」から湧きあがる「喜び」なので、誰も何も、奪うことはできません。

主よ、どうか「すべての嘆き悲しむ者」に恵みを注いでください。嘆きの代わりに「喜びの油」を注いでください。どうか、喜ばせてください。あなたの御手から「二倍のもの」を受け取ることができますように。

主よ、あなたの恵みに満ち足らせてください
誰も何も奪うことのできない喜びを湧きあがらせてください
私は喜び歌い楽しみながら生きます。