No.160 朝明けに備えをし仰ぎ望みます

早朝

詩篇5:3
主よ 朝明けに 私の声を聞いてください。
朝明けに 私はあなたの御前に備えをし仰ぎ望みます。

ダビデは朝明けに御前に出ました

ダビデは、主に期待しているのです。

主が朝明けに、自分の訴えを聞いてくださると信頼しているのです。神が必ず応答してくださると信じているのです。

「備えをし」と訳されている語は、「準備する」「陳述する」「列をなす」などとも訳せます。

軍隊用語のようなものだと言う先生もいます。つまり、ダビデは朝から「配置についている」ということです。

またこれは「ささげ物」の準備をして待っている状態であるという先生もいます。その場合、ダビデは朝から「ささげ物」を用意し、主が受け入れてくださるのを待っている状態と言えます。

どちらにしても、朝明けにダビデがいつもの場所で、主を待ち望んでいる姿が目に浮かびます。

私は、デボーションの時間を絶対に早朝にするべきだとは言いません。

夜勤の人もいるだろうし、人には様々な事情があります。しかし、できるならやはり早朝が良いと思うのも本当です。

一日の初めに「主の御前に備えをし仰ぎ見る」ことは、何より大切なことであると思うのです。

朝明けにダビデは「備え」をして主を待ち望みました。

朝明けに、誰の声よりも、主の御声を聞きたいと願ったのです。誰の顔よりも、主の御顔を仰ぎたいと願ったのです。

主は、時には「万軍の主」として語られるでしょう。私たちは兵士として配置につかねばなりません。

時には「永遠に生きておられる方」として語ってくださるでしょう。私たちは、この方の偉大さに圧倒され、自分の冠を投げ出します。

いずれにせよ、私たちは「イエスの血」を携えて御前に出ます。

ヘブル4:16
ですから、私たちは、あわれみを受け、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

私たちが備えをして御前に出るなら、主はご自身を現わしてくださいます。それは、折にかなった啓示です。主は、私たちに、その日、必要なご自身のご性質を啓示してくださいます。

私たちは、期待して御前に出ましょう。朝明けに、備えをして、御顔を仰ぎましょう。

私は、主を仰ぎます
日々、備えをして御前に出ます
主、お語りください。