ローマ8:29
神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
神様の計画は決して崩壊しません
「あらかじめ知っている人たち」とは、私たち救われた聖徒のことです。
私たちは、自分で決断して、自分の意志で信仰告白をして、自分で聖徒になったように思ってしまいます。
しかし、誰一人として「召され」もしないのに救われることはできません。
私たちは「召されて」キリストのものとなりました。
「召し」とは「招かれる」「呼び寄せられる」とも訳せます。
私たちは「あらかじめ呼び寄せられていた」のです。
「あらかじめ」とは「世界の基が据えられる前から」です。主は、私たちを「選んで」くださったのです。
どうか、いつもこの真理を決して忘れないでください。あなたは「世界の基が据えられる前から、あらかじめ選ばれていた」のです。
聖徒の人生にも「思いがけないこと」が起こります。
予期せぬ困難が降りかかると、私たちは混乱します。
そして「自分は御心から外れてしまったのではないか」と考えます。
「主は、なぜ、私を守ってくださらなかったのだろう」などと思ってしまいます。
「こんなことになって、自分の人生は終わりだ」と嘆くこともあるかもしれません。
しかし、困難や苦難で「人生が終わる」などということは決してないのです。
聖徒はみな「神のご計画にしたがって召された人たち」です。
神様の目的は、私たちを「御前に聖なる、傷のない者にする」ことです。
私たちは「御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められた」者なのです。
「もう終わりだ」「もう無理だ」と私が思うのは「神の計画」と「私の計画」をごちゃまぜにしているからなのです。
確かに、その困難、苦難によって、「私の計画」は跡形もなく崩れ去りました。
今までの準備は「水の泡」です。
しかし、崩壊したのは「私の計画」であって「神の計画」ではありません。神に失敗はありません。
大きな苦難も、ひどい困難も「神の計画」を崩壊させることはできません。それは、必ず「ともに働いて益となる」のです。
覚えてください。
主は「召された」あなたを途中で放り出してしまうことはありません。
族長ヤコブに」約束されたように、私たちにも約束してくださいます。
主は、ヤコブに「あなたを守る」と約束されましたが、この後、ヤコブは散々な目にあいます。苦労の連続です。
苦難にあうことは「守られていない」ことではないのです。
ヤコブの人生は「イスラエル(神とともに立つ者)」に変えられるための旅路でした。
あなたの人生もまた、そうなのです。
その苦難は「神の計画」が成し遂げられるために「働いて益」となります。
そして、神の計画とは、あなたが「御子のかたちと同じ姿」へと変えられることです。
今日も、主は、私たちのうちに「キリスト」を形造る計画を進めておられます。
私は神の似姿に造られました
永遠の初めからの計画を感謝します
どんな苦難も私を神の愛から離すことはできません