ローマ8:28
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
すべてのことが益とされます
私は、毎日の生活の中で、うっかりと失敗してしまうことが度々あります。そのようなとき、どうして自分はこうなのかなとガッカリしてしまいます。
けれど、主は「すべてのことがともに働いて益となる」と言われるのです。私たちのうっかりミスさえも、主は働かせて益としてくださるのでしょうか。
チャック・スミス牧師の証を紹介させてください。
チャック牧師が、ある巨大な病院にお見舞いに行った時の話です。
お見舞いを終えたチャック牧師は、うっかりと表示を見落として「従業員用」のエレベーターに乗り込んでしまったのです。つまり、道を間違えたということです。
「来客用」のエレベーターに乗ったならば、出口は目の前だったのに、間違ったため余計に歩かなくてはなりませんでした。
歩きながら「なんてバカな間違いをしたんだろう」と思ったそうです。
チャック牧師が廊下をテクテク歩いていると、そこに女の子が泣きながら立っていました。そして、その女の子は顔を急に上げると「チャック」と泣きながら走り寄って来たのです。
チャック牧師は、その女の子に言いました。
「どうしたんだい。私に何かできることはあるかな」
その女の子は言いました。
「私の親友が病気なんです。私をキリストに導いてくれた人なんです。脳に腫瘍ができて手術しなければならないんです。でも、医者は、彼女が完治することはないだろう、もう歩けるようにはならないだろうって言うんです」
彼女は、親友の病気のことを聞いて、絶望し途方にくれていたのです。そして、続けて言いました。
「私、この場所で祈っていたんです。神様、私には、この出来事を取り扱うことができません。どうか、誰か私を助けてくれる人を遣わしてください。私と一緒に祈ってくれる人を遣わしてくださいって。そして、顔をあげたら、あなたが廊下を歩いて来たんです」
そのとき、チャック牧師は思ったそうです。
「私の間違いは単なる愚かな間違いではなかった」と。
もちろん、その後、チャック牧師は、その女の子と一緒に祈り、いくつかの御言葉をもって励ましたそうです。
このような出来事は単なる偶然ではありません。なぜなら、このような出来事は「聖徒」であるならば「普通」に起こるはずのことだからです。
聖霊様は、私たち「聖徒」のためにとりなしてくださっています。
聖霊様のとりなしのゆえに、私たちの「愚かなうっかりとした失敗」さえも、主のご栄光のために用いられるのです。
「すべてのことがともに働いて益となる」のは、聖霊様のとりなしのおかげなのです。単なる偶然ではありません。
つまり、私たちも日々の生活の中で経験できることなのです。
ただ、条件が一つあります。
それは、「御霊にすべてをゆだねる」ことです。
聖霊様に導かれて歩むなら、私たちも「すべてのことがともに働いて益となる」ことを経験することができるのです。
聖霊様、私のうちに満ちてください
私は聖霊様にすべてをゆだねます
私の日々には、御業があふれるようになります