【ローマ8:28】
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
すべてのことがともに働いて益となります
私たちの神は、すべてをご存知です。
自分にとって「悪いと思えること」が起ったとき、私たちは落胆します。
なぜ、こんなことが起こったのかと考えます。そして、これからどうなるのだろうと不安になります。
そのようなときに、この御言葉を思い起こす人は多いでしょう。
これは、とても心強い約束です。
「すべてのことがともに働いて益となる」と聖書は言います。ゆえに私たちは、何か事が起ったときに祈るわけです。
「ああ、主よ、どうか、この事も働かせて益としてください」と。
私も、そのように祈ったことが何度もあります。
しかし、この御言葉をよく読んでみると、パウロは「益となるように祈りなさい」とは言っていないのです。
ただ、彼は「益となることを知っています」と言っているのです。
「知っています」とは、「確実にそうなることを知っている」という意味でしょう。
すべてのことはともに働いて益となるのです。それは、確実にそうなのです。
それは、御霊がすでに私たちのために祈っていてくださるからです。
御霊は「聖徒」である私たちのために、とりなしてくださっています。
私たちが「主よ、このことを益としてください」と祈らずとも、御霊のとりなしのゆえに「すべてのことが益」とされます。
ただし、条件があります。
「益」とされるのは、あなたが「神を愛する人であり、神のご計画に従って召されている人」であることです。
私たちは、「すべてのことが益となる」ことを願います。
そして、目の前の出来事が好転するように必死で求めたりします。
けれど、本当に求めるべきは「神を愛すること」です。
神を愛し、自分勝手な道を歩まず、神のご計画のうちを歩んでいるなら、どのようなことも恐れる必要はありません。
私たちは、時々、目の前のことに驚いたり、立ちすくんだりしてしまいます。何が起こっているのかわからなくて不安になります。
しかし、そのような時こそ、目の前の「物」と「事」を見つめるのではなく「神を見上げる」のです。
そのような時こそ「神を愛します」と告白するのです。
「神を愛する人たち」のためには、すべてのことがともに働いて益となることが確実なのです。
神を愛することを求めましょう。
私は、もう「益としてください」とは求めません。
私は「神を愛します」と告白します。
そして、「主がすべてを働かせて益としてくださることを感謝します」と言います。
あなたも、一緒に告白してください。
「神を愛する人たち」の仲間に私たちも加わりましょう。
神は、すべてのことをともに働かせて益としてくださいます。
私は神を愛します。
私は神の計画に歩みます。
すべてのことが益とされることを感謝します。