心の傷ついた者を癒すために遣わされたと言われます
メシアとしての使命の一つは「貧しい人に良い知らせを伝える」ことです。
そして、もう一つの使命は「心の傷ついた者を癒す」ことです。
こちらの使命については、ルカの福音書では省略されています。イエス様は、あえて読まれなかったのかもしれません。
はっきりとした理由は分かりませんが、おそらく、主イエスがまだ十字架に架かっておられなかったからでしょう。もしかすると「心の傷ついた者を癒す」のは、聖霊様のお働きだからかもしれません。
良きサマリヤ人が傷ついた人をどのように介抱したのかを見てみましょう。
傷の手当には「ぶどう酒」と「オリーブ油」そして「包帯」が必要なのです。
私たちの「心の傷」にも同じものが必要です。そして、主は、その必要のすべてを用意しておられます。
「ぶどう酒」は、もちろん、主イエスの「尊い御血」です。私たちは、主イエスの打ち傷のゆえに癒されるのです。「オリーブ油」は、聖霊様のことです。主イエスは、天に昇られ「父の約束」である御霊を遣わしてくださいました。私たちは、今、豊かな御霊の油を注がれる時代に生かされています。
「心の傷ついた者を癒すため」とは、直訳すると「心の傷ついた者を包むため」です。
主は、あなたの傷を包まれます。ぶどう酒を注ぎ、油を注ぎ、そして、見えない包帯で包まれます。
十字架に、あなたの情も欲望も汚れも、すべてがつけられました。イエス様は、あなたのすべてを負われたのです。
聖霊様は、来てくださいました。油は注がれています。確かに、あなたの傷の痛みは和らいだでしょう。
しかし、それでも、傷あとを見るたびに「その痛み」がぶり返すように感じます。
傷は確かに癒されたはずなのに、傷あとを見るたびに、あの時の痛みが思い起こされるのです。
主は、あなたに言われます。
「我が子よ、傷あとを見てはならない。わたしが包んだものをはがして傷あとを見続けてはならない」
主は、あなたの傷を包まれます。
癒しとは、傷あとがすっかり消えてなくなることではなくて、もはや「傷あと」を見ても痛みを感じないようになることです。その後、傷あとはすっかり消え去るでしょう。
主イエスの血潮があなたをきよめます。御霊の油は痛みを和らげます。
さらに聖霊様は、その傷を包まれます。
あなたが、もはや傷を見ても痛みを覚えなくなるまで、聖霊様は包んでくださいます。
主イエスは「心の傷ついた者を癒すため」に来られました。
彼は、私たちの「良きサマリア人」です。完全に回復するまで「費用」を払い続けてくださいます。
あなたは途中で放り出されることはありません。主は、完全に「癒される」まで、必要なものを供給し、包み続けてくださいます。
その包帯が取れるとき、もはや、あなたは「傷あと」に怯えることはありません。
むしろ「苦しみにあったことは、私にとって幸いでした」と言うようになります。
主は私を包まれます
十字架の血潮を感謝します
御霊の油を感謝します