No.358 「花盛りの畑」を守って生きましょう

赤ちゃんキツネ

雅歌2:15
私たちのために、あなたがたは狐を捕らえてください。ぶどう畑を荒らす小狐を。私たちのぶどう畑は花盛りですから。

小狐が畑を荒らすのです

ぶどう畑は花盛りでした。

それは、ソロモンとシュラムの女との関係を表しています。そして、それはまた、イエス様と私たちとの関係をも表します。

何もかも順調に見えます。主と私の関係は上手くいっているようです。

主は、私を愛してくださっています。私も、主を心から愛しています。私たちの「ぶどう畑」は花盛りです。素晴らしい香りに満たされています。

礼拝をささげ、主の御顔を拝するとき、私の心は喜びに満たされます。主の麗しさを仰ぎ見ます。主の恵みに満ち足りています。

もちろん完全ではありません。時々、私の心を「フッと」横切る何かがあります。

しかし、それは「大した事」ではありません。気にするほどのことではないでしょう。だって、私たちは「順調」なのですから。花は満開で、私は満ち足りているのですから。

しかし、ソロモンは言います。

「花盛りだからこそ、小狐を捕らえよ」と。

雅歌2:15
私たちのために、あなたがたは狐を捕らえてください。ぶどう畑を荒らす小狐を。私たちのぶどう畑は花盛りですから。

「花盛り」だからこそ「キツネ」に注意する必要があるのです。

私は小さな菜園で作物を育てています。時々、小動物が作物を荒らしにやって来ます。キツネはあまり来ませんが、アライグマやカラスがよく来ます。

一回ぐらい荒らされても大した被害はこうむりません。しかし、その「大したことない被害」が何日も続けば、菜園はめちゃめちゃになります。

「大したことない被害」の間に対処することが大切です。「対処」を先延ばしにして、カラスにトマトを食い荒らされた日、私は本当に悔やみました。「どうして、あの日、テグスを張らなかったのか」と心底落ち込みました。しかし、荒らされてからでは「遅い」のです。

「ぶどう畑の花」は、やがて「ぶどうの実」を実らせる花です。

「花盛り」のまま実を結ぶなら、それは「大収穫」となるでしょう。

しかし「小狐」を捕らえず、そのまま放っておくならば「実りは少ない」か「全くない」という結末を迎えるでしょう。

「花盛り」は美しいものです。しかし「実を結ぶ」ことはそれ以上です。私たちは、イエス様との関係を進展させていく必要があります。「花盛り」から「実を結ぶ」という関係へ変えられていくのです。私たちは「円熟」に導かれているのです。

「小狐」を捕らえなさい。

私の心に「フッと」横切る思いが、主の臨在から私を離すのなら、私は「それ」を捕らえなければなりません。

それは「些細なこと」であるかもしれません。一般的には「罪」とは呼べないような「些細なこと」かもしれません。

しかし「小狐」であっても「野放し」にしておくなら「ぶどう畑」を荒らせるのだということを忘れないでください。

「大収穫」を見たいのなら「小狐」に注意することです。

私たちの「関係」は「小さなこと」「些細なこと」の積み重ねで築かれていきます。そして「関係の崩壊」もまた「小さなこと」「些細なこと」の積み重ねで起こるのです。

イエス様との「関係」も同じです。

主は、あなたに「花盛りの畑」を守って欲しいと望まれます。それは「豊な実り」をもたらすためです。

終わりのとき、主は言われます。

「見てごらん。わたしたちのぶどう畑を」と。

私は、そこにたわわに実ったぶどうを見たいと願います。イエス様と一緒に「豊かな実」の香りを楽しみたいのです。そして、収穫の恵みを味わう者とされたいのです。

「些細なこと」「小さなこと」にも向き合って「花盛りの畑」を守りながら生きましょう。

私は「小狐」を捕らえます
主との関係を邪魔する「小さなもの」を見過ごしません
豊かな実りをお与えください