No.186 幸いなのは、主に身を避ける人です

静かな小屋

詩篇2:12
主が怒り おまえたちが道で滅びないために。御怒りが すぐにも燃えようとしているからだ。

幸いなことよ すべて主に身を避ける人は。

詩篇は成就するとイエス様が言われました

ルカ24:44
そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法の書と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」

詩篇に書かれている「イエス様についてのこと」もすべて成就するのです。

詩篇2篇は「メシア預言」と呼ばれています。

イエス様の統治について鮮やかに描かれています。

この詩篇も「成就」するのです。

「御怒りが すぐにも燃えようとしている」と書いてあるので、必ず「御怒りが燃えるとき」が来るのです。

終わりの時、主の御怒りがあらわされます。その時、人々は言うのです。

黙示録6:16~17
そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちてきて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」

人々は「神の御怒り」から「身を避けよう」とします。しかし、彼らが「身を避ける」場所などどこにもありません。

彼らは、アダムとエバのように「身を隠す」ことしかできないのです。

幸いなのは「主に身を避ける」ことのできる人々です。

「身を避ける」ことは、ただ単に「隠れる」「避難」することではありません。

それは「守られる」ことです。それは「かくまわれる」ことです。完全な「安全の保証」です。

「身を避ける」とは、たんに「場所」のことではないのです。

終わりの日、人々は隠れる「場所」を探します。しかし、怒りをあらわす「方」から身を隠すことは不可能です。

「身を避ける」は、「沈黙する」「静まる」「声を上げない」と訳すこともできる語です。

終わりの時、国々は騒ぎ立ちます。国民は空しいことを企みます。

しかし、聖徒は、主の御もとに走って行き、そこで静まります。騒ぎ立つ必要も、何かを企てる必要もないからです。

世間の騒々しさに呑み込まれてはなりません。国々が騒ぎ立っても動じてはなりません。

身を隠す場所を探して慌てふためく必要はありません。

私たちの隠れ場は「場所」ではなく「主ご自身」なのです。

詩篇32:7
あなたは私の隠れ場。
あなたは苦しみから私を守り 救いの歓声で 私を囲んでくださいます。

いと高き方の隠れ場に住むならば、私たちには「静けさ」が与えられます。しかし、私たちの周りには「救いの歓声」が溢れるでしょう。

主に身を避ける者は「慌てて」「騒ぎ立てる」ことがありません。

主に身を避ける者は「静かに」「落ち着いて」過ごすことができます。

山々も岩も、あなたを守ることはできません。身を守る場所や物を探し回る必要はありません。

私たちは「主」ご自身を隠れ場とします。

主に身を避ける者こそ幸いなのです。

私は主に信頼します
あなたこそ私の隠れ場です
恐れるものは何もありません