ヤコブ1:5
あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。
些細なことでも「祈り求めて」いるでしょうか
主は「すべてを知っておられる」と私たちは言います。
それは、その通りなのです。私も、そう信じています。
しかし、どうも私は「信じていること」と「実際に行うこと」に隔たりがあるようです。
「聖書のこと」「心の問題」「霊的なこと」に関しては、すぐに「主よ、助けてください」「主よ、教えてください」と求めます。
けれど「暮らしのこと」「仕事の方法」「世の中の手続き的な事」などについては「自力」で何とかしようとしてしまうのです。主に頼らずに、すぐ「検索」してしまうのです。
「調べる」ことが悪いと言っているわけではありません。
しかし、まず「祈り」ではなく、まず「検索」という行動には問題があると思います。そこには、「世の中のこと」と「霊的なこと」を無意識に分ける思いが潜んでいるように感じるのです。
コーリー・テン・ブームのお父さんは「時計職人」でした。彼の人生には、常に身近に主がおられました。
父はまた、仕事のためにも祈りました。彼はほとんどの種類の時計を手掛けていました。ところが、時たま、彼でさえまごつくようなものにぶつかりました。そんな時、彼が祈るのが聞こえてきました。「主よ、あなたは銀河宇宙の歯車を回しておられます。あなたは何が惑星を回転させておられるのかご存知です。ですから、何がこの時計を動かしているのかもご存知です。」~中略~
このような祈りの答えは、しばしば真夜中に与えられるようでした。朝になって、仕事場に行くと、手の施しようがなくて分解したままにしておいた無数の部品が、組み合わされ、気持ちよさそうに時を刻んでいることがよくあったからです。
わたしの隠れ場 コーリー・テン・ブーム著 いのちのことば社
主は「すべて」をご存知です。
「霊的なこと」だけに精通しておられるわけではありません。主は「すべてを創造され、万物を保っておられる方」なのです。
主は「霊・たましい・からだ」が幸いであるようにと気を配ってくださいます。
私たちの「教会生活」と「普段の生活」を分けて考えてはおられません。
「知恵」が必要ならば「だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神」に求めましょう。
どんな些細な事でも「求める」のです。
それは、自分が「知恵に欠けた者である」と認めることです。
常に「へりくだった者」となりましょう。いつも「求める者」でありましょう。
私は「常に身近に主を感じて」生きたいと思うのです。
どこにいても「主の臨在」を意識していられるようにと願います。
絶えず祈るとは「絶えず語りかける」ことでもあると私は思っているのです。
主よ、あなたを求めます
主よ、いつも教え導いてください
あなたに信頼します